福井県越前町荒神ヶ峰城跡の踏査(2)

越前町荒神ヶ峰城跡の踏査(2)
越前市荒神ヶ峰城砦の踏査 (5)荒神ヶ峰城跡主郭部(北から東側に向かう空堀)
さて、遺構の話に移りますが荒神ヶ峰城は何通りかの登城道があると言われています。笹谷地区からのコース、小倉地区の北からのコースなどがあるようですが、城歩きマンは大谷寺の奥の谷、大谷サンガパーク(墓地公園)のあるところから登城することにしました。
越前市荒神ヶ峰城砦の踏査 (4)同、西側に向かう空堀
墓地公園の奥の行き止まりになったところから、山に入ります。途中、急な斜面を登り、葉っぱこそありませんでしたが、藪漕ぎの中を棘のトゲに悩まされながら、何とか中腹の平坦地に出ました。周りが少し伐採されていて見通しが利く場所でした。
越前市荒神ヶ峰城砦の踏査 (2)主郭西側の空堀と土塁(向かって左)

ここまで来ると谷中の墓地公園が一望に見渡せます。さらに南に向かって尾根を進みます。およそ10分も経ったでしょうか、樹幹の林が抜けて空が明るくなったかな、と思ったら目的地の荒神ヶ峰城(砦)に到着していました。
越前市荒神ヶ峰城砦の踏査 (3)主郭南側の空堀と小曲輪(向かって右)
荒神ヶ峰城跡は、東西、南北に約4~50m四方の規模をもつ、単郭の城跡で周囲には空堀と腰曲輪の組み合わせによる遺構が取り巻いて、北、東、南の三方にこの空堀を寸断するように竪堀が切られています。

越前市荒神ヶ峰城砦の踏査 (7)主郭東側の堀切と小曲輪(向かって左奥)
登城道の北側と東側、そして南側の三方に痩せ尾根が続いていきますが、ここではそれぞれに堀切を穿っています。主郭は先ほど記したように40~50mの規模をもつ、やや楕円形を呈した扁平な空間地です。凹凸はありません。

越前市荒神ヶ峰城砦の踏査 (6)主郭北側の空堀と竪堀(緑曲線)
南側がきれいに刈り取られていて、素晴らしい展望が開けていました。遠くには日野山が見えて、手前の谷は小倉から野末、横山の各集落を抜けて府中をにらむ視界が手中に入りました。

越前市荒神ヶ峰城砦の踏査 (1)山頂主郭から南側の小倉地区を望む
最初、国土地理院の地形図を見ていた時には、丹生山地の山の中で、こんなところに何故…。と立地要因が飲みこめずにいたのですが、実際に登ってみると納得がいきました。
いわゆる地の利を得た軍事スポット――。

越前市荒神ヶ峰城砦の踏査 (8)小倉地区の向こうに日野山が・・・
ここまで見ながら城歩きマンは、この荒神ヶ峰城が若狭美浜にある狩倉山、駈倉山の砦跡に酷似していることに気付きました。寸法的にはこちらの方が小さいのですが、先日踏査したばかりの大森地区にある天目山城跡と同様に、一重ないしは二重に空堀が巡る単核の楕円形を呈した砦跡…。登ってみると実感しますが相似形というか、そっくりの作り。
美浜の佐田にある狩倉山砦と天目山城(砦)はきれいな円形ですが、駈倉山とこの荒神ヶ峰は少し歪(いびつ)になった円形、とでも言いましょうか、見張台としては格好の形状を呈しています。

誰か個人の山でしょうか、下草や灌木を刈り取った後があって、手入れに入っているのが分かります。
この山城は『福井県の中・近世城館跡』に小さく遺構図が載せられているだけで、城跡の解説はありません。
南北朝期の山城である、といった程度の性格付け。それにしても、すぐ近くの大森地区の天目山城(砦)(直線距離にして約3㎞北東の方角)といい、この荒神ヶ峰城といい、どの城との中継を結んだ砦だったのかは俄かには分かりませんが、点々とその存在が把握されてくると、中世から戦国時代の丹生北郡の軍事上の構図が微かに浮かび上がってくるような気がしました。
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COMMENT 2

怜の父  2017, 02. 11 [Sat] 11:25

今現在、寂しい田舎の地域でも、昔は地域の中心的場所であったという事をよくききます。
山の中にひっそりとある山城、なんかロマンを感じます(^^)

城歩きマンさんのブログを参考に、いつも紹介されている山城を巡っています。
福井の山城のガイドブックづくり、お手伝いできる事がありましたら微力ながら働かせていただきますm(._.)m

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城歩きマン  2017, 02. 12 [Sun] 07:48

怜の父さん、コメントありがとうございます。

2月11日現在、寒波襲来で福井も雪が降っています。先日までの暖かい天気がどこかに吹き飛びました。当分、山歩きは無理のようですね。

また、その時が来たら山歩きに出かけるつもりです。
それまでじっと我慢…。

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