福井市角原町北茶臼山城跡と三本木町南山城跡の踏査

編集_2017年2月24日福井市角原古墳群の踏査 011 (32)福井市角原町角原古墳群遠望(南から)
2017年2月24日(金)天候晴れ、しかし風が冷たく、時折り小雪が舞い散る寒い日でしたが、しばらく山歩きを休んでいたものですから何か急かされるような気がして登城することにしました。

編集_2017年2月24日福井市角原古墳群の踏査 011 (33)角原古墳群(北茶臼山城跡)全景
場所は福井市角原町の角原古墳群(福井県遺跡地図№01285)と同三本木町の南山城(同№01292)です。角原古墳群は遺跡台帳の種別では古墳・城跡とあり、『福井県の中・近世城館跡』では「北茶臼山城」とマーキングされているものです。

編集_2017年2月24日福井市角原古墳群の踏査 011 (36)西端の土取り工事現場(城跡はこの奥の尾根線上)
「越前国城跡考」にはいずれも時代不知、城主も無記名の山城です。ただ、北茶臼山城は『中・近世城館跡』の図版に堀切、土塁囲みの曲輪をもつ山城として図示されていましたので、現地確認をする必要があり、この日現地踏査を決行しました。

編集_2017年2月24日福井市角原古墳群の踏査 011 (9)中心曲輪北斜面下の腰曲輪
その結果、やはり中心曲輪に小規模な土塁が廻っていることが確認できました。全周はせず、南辺では土塁は確認できませんでした。一段下に幅の狭い腰曲輪が延びているのが確認されました。この南側斜面は裾部の道路拡幅工事のためでしょうか、腰曲輪の下から大きく掘削が行われていて、大がかりな擁壁が施されていました。さらにその東隣りは一段低い曲輪があって、堀切へと続いていくのですが、この曲輪も北陸電力の鉄塔設置のために約8m四方が削平されています。

編集_2017年2月24日福井市角原古墳群の踏査 011 (11)中心曲輪北西隅の空堀と土塁
編集_2017年2月24日福井市角原古墳群の踏査 011 (18)中心曲輪の土塁(東、北、西辺が遺存、写真は西辺土塁)
『中・近世城館跡』で示された遺構図の中心曲輪における鍵の手形の土塁は、実際は南辺を除く三方に土塁があって、この字形に残っています。北側に溝が廻っているようですが、土塁と空堀かと思われます。
中心曲輪の北側斜面には土塁、空堀の一段下方で腰曲輪が延びています。この腰曲輪は鉄塔のある曲輪の北側斜面でも確認され、どうやら最東端にある堀切まで続いていくようです。

編集_2017年2月24日福井市角原古墳群の踏査 011 (19)中心曲輪から南東方角の文殊山を望む
編集_2017年2月24日福井市角原古墳群の踏査 011 (20)中心曲輪から真南の方角に南山城跡の尾根が望めます
最東端の堀切はかなり規模が大きく、堀底部分で幅約3m、長さは10mを超えるものと推定されます。この堀切の南側裾部が角原集落の墓地となっています。

編集_2017年2月24日福井市角原古墳群の踏査 011 (21)中心曲輪から西側の堀切と曲輪
編集_2017年2月24日福井市角原古墳群の踏査 011 (22)中心曲輪と西側曲輪の間の堀切
ここからさらに東に約100mほど高度を上げて進みましたが、標高60mあたりで2番目の鉄塔に辿りつきました。『中・近世城館跡』ではこの部分にも堀切があるようになっていますが、実際は自然地形の谷部であって、堀切その他の遺構にはみえませんでした。

編集_2017年2月24日福井市角原古墳群の踏査 011 (23)鉄塔から東側の尾根(平坦に均されている)
従いまして角原町の北茶臼山城は西端の土取り現場のある断崖部分から角原集落墓地の上部にある堀切までが城域と考えて大過ないものと思われます。
編集_2017年2月24日福井市角原古墳群の踏査 011 (25)角原集落の墓地の上の堀切

角原町の山城を歩き終えて下山したところで、時間もお昼を回っていましたので、昼食をとることにしました。
城歩きマンのお昼の食事内容は毎回、おにぎりとサンドイッチ、そして牛乳パック、V8野菜ジュースのパックをそれぞれ一個ずつコンビニで買って、時間になると山で食べたり、車の中で食べたりしています。
このスタイルはもう5,6年間ずっと変わっていません。不思議なもので、全く飽きることがありません。ペットボトルのお茶と一緒にザックにしのばせて持ち歩いています。何といっても手軽なこと、これに尽きます。

編集_2017年2月24日福井市南山城の踏査 (1)南山城跡の方形墳
余談はさておき、昼食の後は、三本木町と生野町の間にある南山城の踏査を実施しました。天気は相変わらず、晴れたり曇ったりで、崩れてくる心配はなさそうです。気温は相変わらず低く、寒い風が吹いていますが、山の中は意外と温かいもので、山歩きの場合寒さは余り苦になりません。途中からは汗をかくほどで、何とかこの日も遣り過ごすことができました。
南山城は、種別が城跡となっていますが、ほぼ全域で階段上の方形墳を確認しただけで、城跡らしき遺構は1、2ヶ所を除いてほとんど見ることができませんでした。

編集_2017年2月24日福井市南山城の踏査 (7)中世山城の堀切かナ、と思われる箇所
編集_2017年2月24日福井市南山城の踏査 (8)堀切と思われる箇所(南側から)
標高100m前後の尾根線上で1,2ヶ所堀切と方形の平坦地(あるいは方墳か?)を確認できる箇所がありましたが、それ以外は明確な古墳と思えるものばかりでした。
従いまして、南山城の場合は、古墳群が築かれた場所に後世の中世~戦国時代に城跡が重なって築かれた可能性は極めて低いのではないかと思います。
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