越前市矢谷山城跡の踏査(3)

2017年2月26日越前市矢谷山城跡 (10)展望所のある西側山頂
越前市矢谷山城跡は別名大塩(山)城跡とも言います。

旧武生市南部一帯のうち、大塩保に築かれた拠点的山城と考えられる山城です。鎌倉時代には地頭が置かれ、南北朝期の暦応3年(1340)には「得江頼員軍忠状」に北軍が夜討ちをかけて、大塩城を焼き払い、城郭を追い落とした、とあります。この時、日を経ずして北軍は池上庄の妙法寺城や日野山の麓下、平吹城、松ヶ鼻城も追い落としています。

2017年2月26日越前市矢谷山城跡 (9)展望所から日野山を望む
八幡宮の裏山を登ること20分少々で、展望所という山城の西側の山頂部に到着しました。この展望所は地元の保存会の人たちが整備したものらしく、付近が伐採されて、武生市街地が一望できるようにしていました。
このあたりから山城の遺構があるのかな、と思いましたら奥の方に「山城跡へ」という標識が立てかけてあって、どうやら山城のある場所はもっと東のほうらしいことが分かりました。

2017年2月26日越前市矢谷山城跡 (11)展望所から武生市街地を望む
ここから東へはなだらかな馬の背状の尾根線が続き、道も歩きやすくなっていました。
そして、いよいよ矢谷山の東の山頂部についたかな、と思いながらふと前を見ましたら、大きな堀切が眼前に現れました。手前は土塁状に高くなっていて、一旦堀切で切れ落ちて、そこから三角点のある山頂部に向かって急な段々がいくつも並んでいるのが見えました。

2017年2月26日越前市矢谷山城跡 (12)展望所に立つ太平記の瓜生照の陣跡の碑
山頂部はいくぶん狭い平坦地になっていて、東、南、北側の斜面は急角度で裾部へ向かって落ちています。南東側の尾根は高度を変えることなく奥へと続いています。この南東側の尾根線が始まる手前には二重堀切がしっかりと刻まれています。特に奥側の堀切は深く、鋭く掘り切られて、行く手を完全に遮断しているかのようでした。
一方、北側に転じれば、比高差20mはあるでしょうか、急角度で尾根線が滑り落ちていて、その先にやはり、大きな堀切が刻まれていました。

2017年2月26日越前市矢谷山城跡 (13)山頂部近くまで迫っている林道
2017年2月26日越前市矢谷山城跡 (14)東側山頂部の三角点(標高224.2m)
主郭とみられる山頂部は樹木が生い茂って周りの視界はあまり効きません。本来なら、ここが展望所になってもおかしくないのですが、周囲が急斜面で危険と判断されたのでしょうか、見学路もなく、引き返すしかありません。

2017年2月26日越前市矢谷山城跡 (15)山頂部西側尾根線の堀切
2017年2月26日越前市矢谷山城跡 (16)西側尾根線の堀切(南から)
2017年2月26日越前市矢谷山城跡 (17)山頂部南側尾根線の堀切(二重堀切のうちの手前側のもの)
2017年2月26日越前市矢谷山城跡 (18)南側尾根線の堀切(二重堀切のうち奥側のもの)
しかし城歩きマンは山城の全体に興味がありますので、そのまま戻ることはせず、北の尾根線を下ることにしました。
そのまま、丘陵北端の切通しの道端近くまで降りてみましたが、こちらの尾根線上には遺構は確認できませんでした。

2017年2月26日越前市矢谷山城跡 (19)北側尾根線裾部にある堀切
矢谷山城(大塩城)は八幡宮裏山全体が城郭化しているのではなく、山頂部に集中して城が築かれたものと判断されます。しかしながら、麓の神社境内奥に堀切が確認できるので、境内一帯が居館としての防禦施設を備えていた可能性があり、城跡全体の様相については今後のさらなる踏査を待って判断していきたいと思います。
スポンサーサイト

COMMENT 0