越前町烏ヶ岳城跡の踏査

越前町烏ヶ岳城跡の踏査(ブログ用) (1)前方、中央の山頂部が烏ヶ岳
2017年2月27日(月)は越前町下糸生にある烏ヶ岳城跡を踏査しました。

実は2日前の25日に下見のつもりで織田町の織田城跡、福井市の武周町にある武周池、そして越前町の烏ヶ岳城跡の登城口を確認するため回ってきました。
そのうち福井市武周町には池の西側山塊の頂上一帯に蒲生城跡がある、というので一度現地を確認したいという興味がありました。ですが、現地は山深い丹生山地の奥ふところといった感じで、たくさん雪が遺っていて、池の入口には「通行止め」の看板が…。この看板を無視して少し奥へ入って見ましたら、今度ががけ崩れ危険!の看板が…。やっぱりダメだなあー、ということで登山道を確認できず、武周ヶ池は引き返すことにしました。


織田城のほうは地図にも林道や山路が載っていますから、登城口の位置を確認できましたし、烏ヶ岳城のほうも麓下にある浄勝寺の裏手から登れることを現地で確認できました。

越前町烏ヶ岳城跡の踏査(ブログ用) (2)浄勝寺遠景(西から)
午前10時を少し回っていたでしょうか、手筈通り烏ヶ岳城跡の麓につきました。
所在地は越前町下糸生にある浄勝寺の裏手の山です。烏ヶ岳へは谷道の林道が延びていて、頂上付近までつながっていました。標高269.3mの丘陵で、北に少し離れて越知川が蛇行しながら東流しています。
この城跡は「越前国城跡考」では「烏ヶ岳城跡(からすがだけ、またはうがだけと読む)」として織田信長の家臣の鎌田某が物見台を築いた跡だと伝えています。

越前町烏ヶ岳城跡の踏査(ブログ用) (3)烏ヶ岳山頂部の尾根線
何故この地に織田信長の軍勢が入っているのか、とても気にかかっていますが、真実を探る手掛かりはあまりありません。実際に山に登って城跡の遺構を確認できれば、少しは糸口が見つかるかも知れません。
そんな思いで登城することにしました。

越前町烏ヶ岳城跡の踏査(ブログ用) (4)山頂部近景(南から)
しかし、山頂部まで登って周辺を歩いてみましたが、この場所には山城の遺構らしきものはありませんでした。あるいはひょっとして位置がズレているのかも…、と思って山頂部から北の尾根線を約300mほど歩きましたが、なだらかな尾根線が続くだけで、なにも遺構を確認することはできません。「堀二重ノ大手口」があると「城跡考」は記していますが、はっきりした記述ですから、見落としはないと思います。烏ヶ岳ではないのか…。

越前町烏ヶ岳城跡の踏査(ブログ用) (5)標高269.3mの烏ヶ岳三角点
越前町烏ヶ岳城跡の踏査(ブログ用) (6)烏ヶ岳山頂部南側斜面
これをきちんと白黒をつけるには周辺の山をつぶしていく必要があります。後日の計画に回すことにして、後ろ髪を引かれる思いもありましたが、山を下りることにしました。
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