越前町葛野(かずらの)陣屋跡の踏査

越前町葛野神社の見学の踏査(ブログ用) (1)葛野神社近景(東から)
大窪鎌太屋敷をひととおり見て回った後、更に思い出して、やはり近くにあって、一度は現地を確認しておきたいと思っていた、葛野陣屋跡を見学しました。


現在は葛野神社となっていて、右脇には小さな石碑があって、葛野陣屋跡と記しています。
江戸時代中期ごろの越前では、跡目相続の問題から幕府の統制策によって福井藩の石高は半減するという「貞享の半知」が行われ、22万石もの領地が幕府に没収されるという事態になりました。

越前町葛野神社の見学の踏査(ブログ用) (2)葛野神社脇にある石碑
そして、越前には他国の大名や旗本などの知行地が数多く設置され、丹生郡内や大野などに多くの陣屋が置かれました。
葛野陣屋もその一つで、丹生郡13ヶ村と坂井郡32ヶ村合わせて三万石の所領を有して葛野藩が設置されました。領主は紀伊徳川藩主松平光貞の四男松平頼方(よりかた、のちの8代将軍吉宗)です。ちなみに丹生郡57ヶ村三万石の高森藩は同じく紀州藩光貞の三男頼職(よりもと)でした。旧武生市高森町に陣屋跡が残っています。その他にも丹生郡内には三河国幡豆郡西尾藩の領地もあって、陣屋を丹生郡天王村に置いたので天王陣屋と呼ばれています。
先ほどの大窪鎌太屋敷ではありませんが、丹生郡域内にはあちこちに陣屋が設置されていたことも事実で、陣屋自体も各藩の都合で転々と移り変わっていたことも事実です。

さて、葛野陣屋跡は神社の境内になっていて、周囲からやや小高い台地状の地形になっています。神社の敷地はそのうちの半分ほどで大半は空き地で杉木立の中の笹原となっています。周囲に土塁など遺構が残っていないか歩いてみましたが、だだっ広い敷地となっているだけで何も遺構らしきものは確認できませんでした。

山城の踏査が終了した暁には、この福井県内に残る陣屋跡の調査も結構テーマ性に富んでいて、意義のある調査になるかなと思っています。いつ実現するかは全く予測できませんが…。
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