福井市天神山砦跡の踏査

福井市天神山砦の踏査2017年2月28日 (1)天神山砦跡遠望(上天下町から望む)
2017年2月28日、旧清水町の大森集落入口近くにある天神山砦跡を踏査しました。

大森周辺城館位置図天神山砦周辺の城館位置図(国土地理院二万五千分の一を一部改変して使用しました)

今回対象地に選んだ天神山砦跡をはじめ、島寺砦跡、その他上天下城跡等は「越前国城跡考」や「名蹟考」に記載されておらず、従って詳細不明の山城遺構と言えるものです。実際に本当に遺構があるかどうかも、現時点では分かりません。
『福井県の中・近世城館跡』で取り上げられているものだということで、位置図を頼りに現地踏査を実施しようと思い立った次第です。

福井市天神山砦の踏査2017年2月28日 (2)天神山砦南側の鉄塔
丹生郡域内の主だった城跡はここ最近までにどうにかカバーしましたので、細部にわたって城館跡をチェックする体制に入っています。旧清水町や朝日町には山間地荘園が多く、古くから開発された土地柄でもあり、京都賀茂社や仁和寺、あるいは公家領が多く点在し、戦国時代には一向宗の拠点もいくつかあったようで、それに関連する城跡が散見されることでもあり、坂井郡や足羽郡のように朝倉氏の一円支配で統制されていた地域とは様相が異なっているのではないか、という予測をもたせてくれます。

福井市天神山砦の踏査2017年2月28日 (3)鉄塔から大森町周辺を望む
そのようなわけで、今しばらく、この丹生郡域内の山城の踏査を続ける必要があると思って、春まだ浅い里山に分け入っています。

福井市天神山砦の踏査2017年2月28日 (4)天神山山頂部の御堂(南から)
2月28日の朝は一番に大森集落手前の標高88m天神山に登城しました。
志津ヶ丘団地からは北端にあたる山道から迂回して、南側の谷筋から山頂部の城砦跡を目指しました。やや傾斜の緩い谷道を尾根に向かって20分も歩いたでしょうか、すぐに尾根線の鉄塔近くに到達できました。
ここからは左手前方、大森集落や滝波集落が遠くに見渡せて、やはり見張台としての位置をしっかり確保した場所であったことが了解できます。

福井市天神山砦の踏査2017年2月28日 (5)山頂の主郭部東斜面下にある腰曲輪と土塁
鉄塔から150mほど北に小さな御堂の建物がありましたが、あばら家状態で大きく傾いて今にも倒壊しそうな気配でした。
この御堂のある山頂部が砦跡と思われ、約20m四方の方形台状の曲輪に腰曲輪が取り巻いているのを確認できました。

福井市天神山砦の踏査2017年2月28日 (6)主郭部西側の腰曲輪(南から)
腰曲輪は東側では土塁を伴っていて、腰曲輪も長さ18mにわたって空堀状に延びています。北側は傾斜のきつい斜面となっていて、幅約1.5mほどの腰曲輪が主郭斜面に沿って取り巻いています。西側は段違いに一段下がって、腰曲輪が南側に直線的に延びて、鉄塔側の尾根道につながっています。

福井市天神山砦の踏査2017年2月28日 (7)主郭部東側の腰曲輪と土塁(拡大写真)
山頂部は御堂が建っているほかはなにも構造物はなく、雑木で蔽われている状態です。ここからの眺望は望めず、位置的な確認はできませんでした。

福井市天神山砦の踏査2017年2月28日 (8)主郭部東側斜面下の腰曲輪と土塁(東側土塁上から、右手上方は御堂の建物)
福井市天神山砦の踏査2017年2月28日 (9)主郭部西側斜面下の腰曲輪(北から)
天神山砦の縄張りは山頂部の御堂のまわりだけではなく、鉄塔周辺の尾根部分に段曲輪が2~3ヶ所確認できますし、御堂との中間地点の尾根上でも東側の谷筋に向かって緩やかな緩斜面が続き、やはり3段の平坦地を確認しました。いずれもこの天神山砦に付随した遺構群と判断でき、これらを含めて山頂部一帯約200mの範囲を城跡と考えたいと思います。
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