若越城の会見学会、美浜町駈倉山付城へ!

編集_2017年3月19日城の会見学会(駈倉山付城) 001織田神社境内にて
3月19日(日)天候晴れ時々曇り。予定通り、美浜町佐田にある駈倉山付城へ登城しました。
参加された会員および飛び入り参加者は合計18名でした。

編集_2017年3月19日城の会見学会(駈倉山付城) 003織田神社裏の登城口
今回の登城には地元の国吉城歴史資料館学芸員Oさんのご案内をいただき、とても有意義な見学会となりました。
最初に国吉城歴史資料館に集合し、数台の車に乗り合わせて、現地の織田神社へ直行。その境内の駐車場に車を停めて、徒歩で山城を目指しました。

編集_2017年3月19日城の会見学会(駈倉山付城) 009途中の尾根上から見た中山の付城のある山
美浜の駈倉山付城は2016年3月13日でもブログアップしていますが、戦国大名朝倉氏が小浜の武田氏を攻めるために、武田氏家臣の居城である国吉城を攻撃、その時の陣城として築かれた城砦跡です。

編集_2017年3月19日城の会見学会(駈倉山付城) 011途中にある食違いの堀、土塁の状況
春まだ浅い早朝でしたが、いつものように、城の会の精鋭のメンバーに加えて、飛び入りの参加者も数名加わって活気のある雰囲気のうちに山城を目指しました。
城砦は織田神社の裏山から尾根に出て、JR小浜線の佐田トンネルの上を通り、東の方向に約1㎞程歩いたでしょうか、野坂山の北西裾の駈倉山に到着しました。

編集_2017年3月19日城の会見学会(駈倉山付城) 015山頂主郭部の北土塁
この辺りは標高212.8mで、さほど高い山でもありませんでしたが、地の利、という意味では絶妙の位置に築かれていることが、実際に足を運んでみることによってよく分かりました。

編集_2017年3月19日城の会見学会(駈倉山付城) 018東側虎口で説明を受ける
西の方角に中山の付城や、国吉城が大きく視界に入り、ふり返ってみると越前との国境になる関峠が眼下にみえ、さらに北には旗護山砦から西に若狭湾が一望できます。

編集_2017年3月19日城の会見学会(駈倉山付城) 022主郭部南側土塁
そんなことを案内のOさんの説明をききながら、ゆっくりと山頂をめがけて登りました。
山頂部の手前150mほどの位置には、堀を食違い状に切った防御施設があります。おそらく城域はこの辺りまでを限って含められていたものと思われます。山頂部までなだらかな尾根線が続き、ようやく主郭のある山頂部に付きました。

編集_2017年3月19日城の会見学会(駈倉山付城) 024主郭部中央に鎮座する祠(玉砂利が敷き詰められていました)
主郭は東西約70m、南北に約50mほどの楕円形をしたプランの単郭の城砦で、土塁と腰曲輪が四周を取り巻いています。
北と東に虎口があり、北東部と北西部では鍵折れ部を設けています。
こうしたつくりは戦国時代末の山城によくみられる特徴と言われ、とても朝倉氏の所作とは思えないとの意見が出ていました。いずれにしても、遺構というものは最後の造作を示すものですから、最後に手を加えたものは誰か、を突き止められれば事実が分かるのですが、簡単には判明しません。
参加者一同で、そんなことを議論しながら山を下りました。
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COMMENT 5

怜の父  2017, 03. 23 [Thu] 12:42

本当にいい場所を選んだんだと思いました。
現地に立ってみないと判らないものですよね。

私は遅れて一人で訪れたので、食い違いの堀を見落としてました。

当事は何人位の兵員が常駐してたのでしょうかねぇ。

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midorishako  2017, 03. 23 [Thu] 17:48

立派な山城でした

城歩きマンさん
お疲れ様でした。

実はよく分かっていなくて「狩倉山」の方に行くのかと思っていました。標高があんまり高くないので、たいしたことはないと思っていましたが、けっこうな山登りになりました。駈倉山砦自体も大きくて、遺構もよく残っていたので、立派な山城だと思いました。

それにしても3月はかきいれ時だと精力的に山城歩きをしている姿に感動しました。

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城歩きマン  2017, 03. 23 [Thu] 21:07

怜の父さん、midorishakoさん、コメントありがとうございます。

参加された方々に喜んでもらえたようで、提案者としてはとてもうれしく思いました。

昨年10月の堂谷山城跡に続いて、同じ美浜町の駈倉山付城に登れて、城歩きマン自身もとても勉強になりました。

今年度の城の会の見学会でも、福井県内の面白い山城を皆さんに提案して、城の会の方々に喜んでもらえるようにしていきたいと思います。

特に5月の総会では、一乗谷城が良いのでは?という意見をいただきました。2月の学習会での成果を実地に見学しておさらいをする絶好の機会です。
実現できるとありがたいですね。

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闘将!刑部  2017, 03. 24 [Fri] 14:53

No title

 見学会、天候もよく有意義な時間の会になったとのことで、喜ばしいことだと思います。

 中山や駈倉などの付け城は、朝倉氏の城として、非常に重要な注目点だと私自身は思っています。

 通常、付城とか陣城と呼ばれる城砦は、戦いによる目的による軍事性が色濃い施設だと思います。
また、守備側としては、出先機関としての役目になろうかと思います。
 従って、居住とか常にいる場所ではなく、使用目的の最終時点で止まっている可能性が高く、使用目的がなくなった後は改修や増築されることはなく、現在の遺構の残りがその当時のままである可能性が高いかと思います。
例えば、玄蕃尾(内中尾山)城もそれですよね。

 ですので、この付城らを調査、解明していくことにより、朝倉としての城の在り方というものも少しは分かってくるのかなと思います。

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城歩きマン  2017, 03. 25 [Sat] 08:26

闘将!刑部さん、コメントありがとうございます。
いつも貴重なご意見、ありがとうございます。

朝倉が陣城として使ったことは確かなことですから、城跡の解明は先ず、そのことから出発しなければなりません。
その上で、他の城砦跡との比較検討が行われることになってくると思います。今後とも、いろいろとご教示ください。

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