坂井市丸岡町河上城跡の踏査

編集_坂井市丸岡町河上城跡の踏査 002
2017年3月25日(土)坂井市丸岡町川上にある「河上城跡」の踏査を行いました。

あわら市上野山城跡他位置図国土地理院二万五千分の1地形図を一部改変して使用しました。
先日、あわら市後山地区の踏査を実施したばかりですが、この日天候もよく、絶好の踏査日和でしたので、今のうちにと丸岡に向かいました。

編集_坂井市丸岡町河上城跡の踏査 004正面の山が河上城跡
河上城跡は「越前国城跡考」では時代不知、となっていて築城者、城主などは不明です。ただ、北隣りにある上の山城跡が木曽義仲の陣城となっているので、それに関連した城跡であろうとの見方がなされています。

編集_坂井市丸岡町河上城跡の踏査 006城跡のすぐ近くまで林道が…
いずれにしても内容が分からない山城のひとつです。
あるというだけで、今まで縄張り図や遺構図が公表されていず、範囲を記したマーキングが『福井県遺跡地図』にあるだけです。
例によって、先ずは登城すること。

『日本城郭全集』の福井県、河上城の項では中腹に二重の堀が廻る、と注釈が入っていますので、遺構が存在することは確かです。

編集_坂井市丸岡町河上城跡の踏査 008尾根の北側にある堀切
川上集落の「ふれあい会館」に車を停めさせていただいて、さっそく集落の裏山に入っていきました。裾にはイノシシ除けの金網が張られていて、簡単には入れないようになっています。ゲートまで行って、そこから入山、といった形になります。
河上城も上野山城も近年の仕業でしょうか、細い赤土だけの林道がアチコチに張り巡らされているといった状況です。

編集_坂井市丸岡町河上城跡の踏査 009同堀切(横から)
河上城はその林道の奥まったところの尾根線上にありました。神社の祠からは直線距離にして300m北東の位置になります。折りよく、林道が敷かれていましたので、その林道に沿って歩きました。

編集_坂井市丸岡町河上城跡の踏査 012堀切につながっていく空堀と土塁
林道がジグザグに尾根に向って這い上がって行った先に、まず斜面に沿って土塁と空堀が約150mほどでしょうか、南北方向に伸びていました。幅約1.5m、深さ約1mほどの土塁と空堀(横堀)が尾根を断ち切った堀切のところから、南側の方向に続いています。

編集_坂井市丸岡町河上城跡の踏査 017斜面に沿って延びる空堀と土塁
150mほど行った先から斜面に沿って西に回り込み、その延長は竪堀となって谷に落ちています。この南側の痩せ尾根部にも堀切が刻まれていました。
一方、北側の堀、土塁が切れるところでは、一段高くなって、別の腰曲輪が北に向かって斜面に延びていき、20mほど行ったところでもう一つの堀切につながっていました。
東側斜面は、ゆるやかな緩斜面で、林道で分断された形になっていますが、広い平坦地が形成されていて、複へ一の機能を持った空間が想定されるところです。

編集_坂井市丸岡町河上城跡の踏査 022南端の土塁と空堀(右手は竪堀となって落ちている)
この河上城は、明らかに城跡の南側谷部を通る竹田地区への通り道を扼する、重要拠点の城砦であったことが容易に想定されます。
木曽義仲の時代も一向一揆の時代も、この竹田から大内峠を抜けて加賀山中への間道であった歴史を振り返れば、河上城の位置付けは大変大きな重要性をもつことになります。
この日踏査して分かったのですが、植林用と思われる林道が城跡の中にまで入り込んで、遺構の存在が大変危うくなっています。

編集_坂井市丸岡町河上城跡の踏査 025南端にある堀切
河上城跡については、今後とも注視していきたいと思います。
スポンサーサイト

COMMENT 0