大野市小山城跡の踏査(3)

2017年3月小山城跡の踏査(ブログ用) (12)派生尾根の北側斜面の腰曲輪
一旦、派生尾根を引き返し、西側の主尾根に戻ります。
大堀切を越えて、「五ノ平」に相当する曲輪を確認しました。冬枯れで葉っぱが落ちているとはいえ、やはり元は藪漕ぎ状態の山城なのでしょう、あまり明瞭に見通せず、曲輪のエッジに回り込んで、行きつ戻りつしながらの調査行になりました。

2017年3月小山城跡の踏査(ブログ用) (13)五ノ平手前の大堀切
この曲輪の西は一段低い平地となっていて、「四ノ平」に続きます。「四ノ平」も細長い曲輪で、規模は大きくはないのですが、「三ノ平」との間に三重堀切をもっていて、厳重な防禦になっています。
こうした尾根上に曲輪連続して並び、堀切で各曲輪を遮断しながら山城を構成する形態の城跡には、先ず敦賀の金ヶ崎城跡が思い起こされます。

2017年3月小山城跡の踏査(ブログ用) (14)三ノ平と四ノ平の間にある二重堀切
こちらも中心部のニノ木戸付近で二重堀切を備えていて、特に厳重な防禦となっているのと共通しています。金ヶ崎城の二の木戸北側斜面ではさらに畝状竪堀も7条確認され、厳重な備えであることが裏付けられます。

2017年3月小山城跡の踏査(ブログ用) (15)二重堀切(東側)の横からの状況
小山城は別名武衛山城とも言われ、室町幕府の要職をになった斯波氏の応仁・文明の乱前後の居城のひとつになっていることから考えても、山城の築城年代は15世紀の中頃に宛てても差し支えないものと思われます。
最終的にどのような改変が行われているかは、今後の踏査を待って判断していきたいとも思います。

2017年3月小山城跡の踏査(ブログ用) (16)二重堀切(西側から)
話を戻します。この「三ノ平」には水準点が打たれていて、標高217.5mを測ります。東端の「六ノ平」が最高所と思われますが、ここは西端部の最高所になります。土取り工事で大きく抉られた崖面がすぐ脇に迫っていて、不安定な地形となっています。
「三ノ平」には二条の溝が斜面に平行に切られていて、下位の腰曲輪を通って西端部の崖面につながっていきます。東斜面下にも小規模の堀切があって、この曲輪はどうやら大手筋にあたるのではないかと思われます。

2017年3月小山城跡の踏査(ブログ用) (17)三ノ平北側斜面下の堀切
2017年3月小山城跡の踏査(ブログ用) (19)三ノ平頂部にある水準点
2017年3月小山城跡の踏査(ブログ用) (22)三ノ平の北側にある先端部(この先は土取りによってできた崖面)
小山城跡は一見して小さな独立丘陵上に築かれていますので、城跡も小規模かなと思わせるものがありますが、なかなか…。
この城跡も県内の山城の中では古式の様相を残している数少ない山城です。今後大いに保存・活用のための整備が進められることを期待して止みません。
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COMMENT 2

怜の父  2017, 04. 01 [Sat] 16:08

素晴らしい山城ですね。
15世紀の山城でもやはり南北朝期の城とはかなり違ってきますね。
それにしても低い丘陵に手のこんだ大規模な城ですね。比高30メートルくらいなら砦程度と最初は思ってましたが‥

もうダニがかなり着いてくる季節になりましたね。
薮漕ぎの後は要注意ですね(^^;

越前市の味真野地区にも同じ名の武衛山城と呼ばれる城がありますね。
こちらの山城はもう少し遅い時期だったと思いますが、小山城より単純だったように思えます。

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城歩きマン  2017, 04. 01 [Sat] 17:25

怜の父さん、いつもコメントありがとうございます。

小山城は実に勿体ないと思います。
戌山城にもひけを取らない、素晴らしい構造の山城です。

第1コンパクトな大きさですから、誰でも、気軽に登れる山城だと思います。小・中学校の郷土教育、一般への歴史の教材としてもってこいのお城です。

地元の有効活用にもっと力を入れていきたいですね。

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