大野市上舌「茶臼山城跡」の踏査(2)

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (8)主郭部到着の手前にある堀切
大野市上舌の茶臼山城跡に登城しました。
城跡の北側にある、けもの道のような登城道を進んで、いよいよ城跡に到着して見ると、なんと、ものすごい堀切、畝状竪堀!
ガーン!

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (9)向かって左上が進行方向(目の前に大きな畝状竪堀が…)
2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (10)同位置から右側を見た状態(右側にも2条の畝状竪堀)
大きく、深く、鋭く、長く主郭の回りを取り巻いているではありませんか!
その数全体を数えたら、およそ25条でした。幅3m、深さも2、3m。長さは場所によって不揃いで、10~15mほどに達するものから、5,6mほどで腰曲輪の幅分だけ切られているものなど様々。

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (11)畝状竪堀の上に登ってみると、主郭の東側へ腰曲輪が廻っている…
北側斜面から登ったのですが、先ずそこでは、堀切が手前に1条。それを越してさらに進むと、目の前に大きな竪堀が斜めに垂下しています。右に2条、左に2、3条…。左(東側斜面)はさらに奥に続いて、腰曲輪と竪堀が。

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (12)主郭裾部東側に続く腰曲輪
南に向かって奥へ約60mほど進んだでしょうか、今度は深く、大きな竪堀がほぼ平坦面に近い腰曲輪を横に寸断するように、何本も並んで横たわっています。
この光景は新潟の大葉沢城で見た光景と同じでした。
大葉沢城でも連続して並ぶ畝状竪堀の南端部では、ほぼ水平に近い角度で横に何本も竪堀が並んでいました。

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (13)樹木が倒れ込んでいるので分かりづらいのですが、緑色の線のように右と左に畝状竪堀が並んでいる
2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (14)畝状竪堀の横断面(土塁の高さは堀底から2m)
まるで畝状竪堀の見本市のような遺構群です!
茶臼山城の畝状竪堀は、基本的には主郭のまわりにある腰曲輪を切ったもの。
特に集中しているのはこの北側と南側の主郭部下の斜面一帯。

大手は、北西に延びる派生尾根に刻まれた食違い状の、互いに向き合う2条の堀、土塁の様子から、ここが虎口で北西尾根を這い上がってくるルートだと思われました。この尾根の真下に上舌の集落があります。

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (15)主郭部裾の南側斜面下(ほぼ水平状態に畝状竪堀が数条並ぶ)
搦め手は南側で、尾根道は隣村の阿難祖地頭方(あどそじとうかた)に向かって高度を下げていますので、ここからの侵入を特に意識した防禦態勢となっているようです。

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (16)主郭部南斜面下にある堀切
踏査を終えて下山してみたら、午後1時30分を過ぎていました。登城が午前10時頃でしたから、山での所要時間はゆうに3時間を過ぎていることになります。
時間の経つのを忘れる、というのはこのことを言うのでしょう。

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (17)同堀切の上から主郭部斜面(ほぼ平坦面に近い)を望む
茶臼山城は、同じ大野市にある戌山城の畝状竪堀の用い方と共通するものが見受けられ、まるで兄弟の山城のようです。
刻み方の特徴、太く、深く、そして鋭く切り刻むやり方は県内には同じ例がなく、新潟の大葉沢城などに求めなくてはならないほどです。
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