大野市上舌「茶臼山城跡」の踏査(3)

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (18)主郭部の南側斜面下を西に回り込んだところの畝状竪堀
大野市上舌の茶臼山城跡について報告します。
旧朝日町栃川の茶臼山城(福井県の遺跡地図では「尉ヶ峰城」)で、畝状竪堀をもつ山城を発見した、とブログアップしましたが、スケール感からいうとこの比ではありません。

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (19)主郭部西側斜面下の腰曲輪
先に書きましたように、茶臼山城の畝状竪堀は既に報告があり、新発見ではありませんが城歩きマンが確認したものとしては近年にない素晴らしい山城遺構です。
県内では一乗谷城、波多野城、後瀬山城、戌山城に次いで取り上げてもよいと思われます。

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (20)主郭部の西側から北へ回り込んだ北西隅の堀切(ここでは食違い状になっている)
築城主については「城跡考」では朝倉氏の家臣、または同名衆の朝倉彦之丞か、としていますが文献などの記録には該当者はなく、南北朝期の新田方の武将、堀口兵部大輔氏政が亥山城の支城として築いたと考えられているのが古い例です。

時期的には畝状竪堀の技法的な様子から見て、戦国時代末のものと考えてよいかと思われます。山頂部の平坦面は主郭として、2,3の段があってかなりきれいに均されていますので、建物があったことは容易に想像されます。
ただ、回りに土塁があるかとつぶさに見て回りましたが、土塁の形跡は見つかりませんでした。明瞭な腰曲輪が取り巻いているだけです。築城の所為としては複数の時期にまたがっているような印象もなく、短期間に一時期に造られたものか、とも思います。

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (22)北西隅の食違い状虎口部
もっとも、最初に方形の曲輪があって、あとでその裾の腰曲輪に畝状竪堀を刻んだかも、という疑いは最後まで残りますが…。

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (23)北側斜面と腰曲輪
茶臼山城跡のある山は、個人所有の山らしく、ごく最近も雪で曲がった樹木を矯正するために針金を渡しており、枝を処分した伐採の跡も見えました。
また登城道の入口には城跡の説明板がありますが、その周囲にイノシシ除けの電気柵が設けられています。これも新しい造作のようでした。

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (24)主郭部にある水準点
2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (25)主郭部南半部の平坦面
先にも書きましたが、この茶臼山城跡は、大野では大野城や戌山城に次ぐ規模の山城であり、県内では稀有な規模の畝状竪堀をもつ山城だということも判明し、本城跡は大変貴重な歴史遺産だということができるでしょう。

2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (26)主郭部西辺の腰曲輪(幅3mほどの腰曲輪が西、北、東辺を取り巻いている)
2017年3月大野市茶臼山城跡の踏査(ブログ用) (27)主郭東辺の腰曲輪
北隣の御城山城は小山荘歴史の会が積極的に保護・活用の施策を施しているのに、茶臼山城は登山道さえ整備されていません。これはとても片手落ちで残念に思います。
大野市教育委員会の方には、是非とも、茶臼山城跡を郷土教育、歴史学習の教材として保護・活用し、整備の手を加えられるよう、切に願うばかりです。
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