大野市佐開城跡の踏査(3)

2017年4月3日大野市佐開城跡の踏査 (15)エリアAの東半部の土塁と平坦部(藪漕ぎ状態で見通しが利かない)
2017年4月、大野市佐開城跡を踏査しました。
当初、規模の小さな山城だと考えていましたが、実際に踏査してみると多くの曲輪や堀切が並ぶ、規模の大きな詰城の性格をもつ山城だと分かりました。
2017年4月3日大野市佐開城跡の踏査 (16)エリアAの平坦面(この左手斜面下に腰曲輪と竪堀を確認)
そこで、城域をエリアAからB、Cと三つの区域に分けてみてみることにしました。エリアAの最西端は幅の狭い、切り立った痩せ尾根となっており、土塁囲みの曲輪の手前にある堀切まで遺構はないようです。

2017年4月3日大野市佐開城跡の踏査 (17)同平坦面から佐開集落を望む(周りの藪を刈り取れば、絶好の展望ポイントになるのですが…)
土塁囲みの曲輪群からは、一部尾根が北西方向に枝分かれして、段差のある曲輪と堀切が4ヶ所連続します。遺構の遺存度も極めて良好です。
一方、土塁囲みの区画から30mほど南東へ進むと尾根を東西に二分する土塁があって、その先にも同規模の長方区画の曲輪が並びます。

2017年4月3日大野市佐開城跡の踏査 (18)エリアB東端の曲輪を北西段下から見上げる
その先は馬の背状に尾根が続いていますが、手前で、一旦20mほど大きく高度を下げています。そして土塁をともなう幅の広い堀切があって、ここから尾根は大きく南にカーブします。

2017年4月3日大野市佐開城跡の踏査 (19)エリアBの削り落としによる東面の方形区画(仕切り土塁から)
エリアBは、この大きくカーブする曲輪あたりから始まります。やや緩やかな角度で南へ尾根が延びて、30mほど進むと、堀切があります。このあたりから尾根の勾配はやや大きくなって、尾根の幅も狭くなっていきます。

2017年4月3日大野市佐開城跡の踏査 (20)エリアB方形区画(格子目状)の南にある堀切と曲輪
この尾根上には削り落としによる格子目状の曲輪が4、5ヶ所造成されています。エリアAの掻き上げによる土塁囲みの区画とは好対照をなしています。構築技法が全く別なものであるため、同時期の所産とは考えにくいものです。

2017年4月3日大野市佐開城跡の踏査 (21)エリアBの南半部の堀切(向こうはエリアC)
堀切が2条続いて、その先はエリアCの区域に入ります。
エリアCも勾配が急になっていますが、曲輪が造成された面はきれいに平坦地をつくり出していて、遺存度もよく、明瞭な曲輪群となっています。
2017年4月3日大野市佐開城跡の踏査 (22)エリアB最南端の堀切とエリアC
勾配が急なせいもあるのか、ここでは堀切による遮断線は形成されていません。
先ほども書きましたが、ここで見られる曲輪はおおむね10ヶ所前後で、尾根の中央部は通路上に削り残しが見られます。

2017年4月3日大野市佐開城跡の踏査 (23)同堀切のV字カット
さて、先ほどの格子目状の曲輪と土塁囲みの曲輪には技法的に違いが認められるので、2時期を想定することが可能です。
その他の堀切や曲輪の造成には、大きな時期差は認められず、概ね、斯波義敏の時期を隔たらない時に追加造成があったのかな、と想像するに留めておきます。

2017年4月3日大野市佐開城跡の踏査 (24)エリアCの平坦面(北半部)
今回、大野の山城を小山城、茶臼山城、牛ヶ原城、佐開城と踏査しましたが、これらはたまたま順番を付けて歩いただけで、特に意図して選んだものではなく、再確認、あるいはぜひ今のうちに現状把握をしたいと思って歩いた山城に過ぎません。

2017年4月3日大野市佐開城跡の踏査 (25)エリアC最南端の曲輪(この先は小規模の段曲輪が数基並ぶ)
しかしながら、これらの山城はほぼすべてが、県内の山城の現在知られるバラエティーを大きく塗り替えただけに止まらず、様々な特色をもつ山城の存在を知ることになり、今までの常識的な見方や発想では福井県内の山城を、推し測ることができなくなったと言っても、言い過ぎではないと思います。

2017年4月3日大野市佐開城跡の踏査 (26)エリアCから裾部に下りると集落の西端、水田区画になります(アチコチに点々と墓が立っているのが印象的でした)
その意味でも、今回の山城踏査紀行は、大変画期的なものになったのではないかと、自画自賛(?)している次第です。
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COMMENT 2

怜の父  2017, 04. 10 [Mon] 09:26

大野にこんなに綺麗に残してある山城が沢山あるとは意外でした。しかも城主が有名な斯波義敏とは‥
県内の主要な山城はもう歩いたなぁと思ってましたが、大きな認識不足でした(^^;
こんな他県にも誇れるような山城がひっそり埋もれているのはもったいないですね。誰もそこに立派な城があったという認識がないので雑に開発されてしまうんでしょうね。
是非とも何かの形で地元の人にも紹介したいもんですね。

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城歩きマン  2017, 04. 10 [Mon] 16:17

怜の父さん、コメントありがとうございます。

山での林道開発については、怜の父さんがおっしゃる通りです。県内では、今回城歩きマンが踏査して歩いた山城のほとんどは、おそらく誰も知らないものがほとんどでしょう。

実に残念なことです。

普段人が入らない、通らない、従って全く関心を持たれない山城が、陽の目を見ない間に破壊されて消滅してしまったら、こんな理不尽な話はありません。

今回の山城踏査でたくさんのことが分かりました。山城の内容はじつに多くのことが付け加えられることでしょう。

近いうちに何らかの形にしていくつもりです。

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