足羽川と足羽山シンポジウムに参加して(第2弾)

2月19日(日)の「足羽山シンポジム」について、筆者がなぜ参加したか、という理由を述べるのが抜けておりました。改めて追記したいと思います。
それは、足羽山が市民の憩いの場、という意味ではだれでも関心があろうかと思いますが、それ以上に福井での戦後の考古学の出発点となった山である、ということ。
まだ、県民が戦争の混乱から抜けきらない時期の昭和26・27年に、足羽山公園整備事業にからんで古墳の発掘調査が実施され、貴重な考古学上の成果が得られたことは、足羽山公園を訪れたことがある人なら、一度や二度は現地の古墳の案内板、あるいはかつて山の上にあった郷土歴史館(現市立郷土歴史博物館)の展示を見てご存知の事だろうと思います。
山頂部にある招魂社あたりから西に延びる尾根線上に、いまも累々と古墳が並んで残されていることも福井の歴史に興味のある人ならご存知だろうと思います。それらは県指定の史跡になって、文化財として保護されているはずなのですが・・・・。
またシンポジウムの中でも触れられていましたが、足羽山は秀吉が勝家の北ノ庄城を囲んで攻め落とすときに陣城としたことでも有名な話です。民家園で知られている兎越山、さらに南の八幡山も古墳がたくさん残っています。こうした山々がほとんど利・活用されることなく、管理が手薄になって荒れ始めているとしたら、これは由々しいこと。「みどりの回廊」もふくめてもっと多面的な見直しが必要なときなのではないでしょうか?
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