いわゆる『太平記』に登場する川口城とは?

福井新聞記事「指中の石碑」
4月8日(土)あわら市にある「川口城」を見学しました。

というのも、昨日7日(金)の福井新聞に川口城と伝承のある、あわら市指中の高台上に畑時能が築いたとの由緒にちなんで、その子孫の方が現地を訪れ、年号の部分が「□(応)安2年(1369)」と読める石製の板碑を安置していることから供養祭が行われましたが、その時の様子が報道されたものです。


以前、この場所を踏査しようと歩いたのですが、現地はもちろん、遺跡の場所を示す案内板も見つからず、諦めて帰ったことがあります。そんなことから、かねて現地を確認したいと思っていましたので、意を決して車を走らせました。

川口城と神宮寺城の見学 (2)あわら市指中の中村区から「川口城」碑のある高台を望む
あわら市歴史資料館に立ち寄って、館長補佐のHさんから件の説明板のある場所を伺い、今度こそは、ということで現地を訪れました。
Hさんの話では、『太平記』でいう川口城は恐らく指中の中村区にある神宮寺城を指すのではないか、ということでした。従前の川口城跡は地元の川口城保存会の人たちが「応安2年銘(?)」の供養塔を現地に祀っているので、それに合わせて整備した、とのことでした。ちなみにこの供養塔板碑は平成27年(2015)にあわら市の文化財に指定されています。

川口城と神宮寺城の見学 (1)「川口城」碑と板碑の覆い屋(周りには桜が植樹されていて、地元の人たちがこの地をとても大事にしていることが感じられました)
説明板は指中集落の南側の高台の一角にあり、確かに一面が畑地として耕作されていますが、東側は大きく開発されて「ふくい鋲螺(びょうら)」の工場が立ち並んでいて、遺跡を偲ぶ風情は全くありませんでした。
字名に城跡と関連するものがあったので、この付近を城跡とみなしていたとのことですが、やはり、城跡を感じさせる地形的なものも殆ど確認できませんでした。

川口城と神宮寺城の見学 (5)春日神社側から見た神宮寺城のある丘陵
ついでに、との思いで「川口城跡」の北側丘陵上にある「神宮寺城跡」に立ち寄ってみることにしました。福井考古学会例会で平成5年に現地を踏査したころから、もう大分の年月が経っていますが、現地はどうなっているのか少し気がかりでした。

案の定、付近は住宅が建て込んでいて当時の風景は残っていません。昔よく登った登城口が分からず、行ったり来たりした後、付近の人に聴いてみたところ、神社の脇に林道があるから、そこから登れるよ、とのことでした。
神社とは神宮寺城の東側にある春日神社のことで、城跡はこの神社の境内の一部のような存在です。

もとあった城跡の登城口は、イノシシ除けの金網が張られていて、通行止め。
樹木が生茂っていて鬱蒼とした状態です。やはり変わってしまいました。踏査の準備もしていませんでしたので、城跡までは登らず、現況を確認しただけで引き返すことにしました。

あらためて、城跡の地形を遠くから眺めましたが、なだらか饅頭のような地形で、一見しても城跡とは思えない趣きです。何れ機会があれば再踏査することもあるかな、と思いながら現地を後にしました。
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