福井の城館めぐりを振り返って

福井県の城館位置図福井県の城館位置図(昨年秋から今年の春に踏査した城館)
昨年秋から今年の春にかけて福井県内の城館めぐりをしましたが、あちこちバラバラに歩いたようで、一貫性に欠けるかもしれませんので、ここでちょっとまとめの意も兼ねて、ふり返って見ることにします。

坂井市内ではあわら市の上野山城と、丸岡町の河上城を歩きました。他にもありますがこの2ヶ所を取り上げてみます。
坂井市、あわら市は昔の坂井郡一帯、金津、芦原、丸岡、坂井、春江の各町ですが、これまで平野部の城や居館が知られていただけで、あまり山城については取り沙汰されることはなかったかな、と思います。
実際に、山城の存在は数えるほどです。

しかし、木曽義仲伝説や新田関連の山城はいろいろと文献上で知られていました。長い間、実態についての所見が出されて来なかったこともあって、金津、丸岡にかけて山中に存在する山城のことは不明でした。

また、加越国境ラインの山城についても、いくつか存在することは知られていても、その実際については誰も触れることなく、長い年月が経過しています。
加越国境のことについては隣県石川県のほうが調査が進んで、福井の立ち遅れが目立ってきています。

編集_坂井市丸岡町河上城跡の踏査 002丸岡町山久保集落(南西側)から望む
マ、余談はさておいて本題に入りますが、上野山城と河上城はいずれも木曽義仲がらみの山城、砦跡で実態は不明でした。
今回、城歩きマンが踏査した結果、上野山城は二重の堀で囲まれた単郭の陣城、あるいは砦跡と考えられる遺構で、周りには駐屯できるスペースの平坦部(曲輪とは判断しにくい?)をいくつか備えた、比較的規模のしっかりした山城であることが分かりました。

正面の虎口は西南隅に設定され、後山地区からの出入りが想定されます。後山地区への南からの出入りをおさえた要衝に位置することは明らかでしょう。

一方、河上城のほうは武田集落へ通じる谷道の入口にあって、やはり竹田や後山へ情報を伝達する要の位置に造られたものだということは一目で判断できます。
城の構造は川上集落の北側丘陵の尾根線上に築かれた、やはり単郭の山城だと考えられます。中心曲輪は堀切で遮断されて3ヶ所の平坦部に分割された格好ですが、その曲輪を南側から西側にかけて、斜面中腹に空堀(横堀)・土塁を巡らせて防禦するという、二重防禦の構造をとっています。

この河上城の中心部分の曲輪や堀、土塁に加えて、南側裾部には傾斜の緩やかな平坦地が2ヶ所あって、地形図でもはっきり確認できますが、勢溜りのような性格を持つ空間と判断できました。唯、現在はヒノキ林で、間には灌木が生い茂っていて見通しは利きません。そして追い打ちをかけるように、林道開発によってこの平坦部が切り刻まれ、大きく地形改変され、現状を把握できにくくしています。

河上城の虎口は南側斜面から西側に空堀と土塁が回り込む位置にあったものと思われますが、この場所にも林道が入り込んで切り刻んでいますので、確かなことは分かりません。

上野山城と河上城は、いずれも単郭である、ということが共通していて回りに付属的に平坦地や堀切が取り付いてはいますが、詰城的なものではなく、拠点をおさえる砦の性格をもったものであろうと判断できます。
詳細な構造や位置付けは今後の追跡調査を待って判断していきたいと思います。
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