福井の城館めぐりを振り返って(2)

編集_2017年2月24日福井市角原古墳群の踏査 011 (33)北茶臼山城跡の尾根(南から)
福井の城館めぐりをふり返って、第2回目は福井市角原町にある北茶臼山城跡です。

福井を東西に二分する日野川が北流して福井市の西側で九頭竜川と合流しますが、今回踏査した福井市域の山城の中では、多くが旧清水町や朝日町など日野川の西に位置していますが、この北茶臼山城跡は東側、三峰城や文殊山城がある足羽地区の最西端の山城です。

北茶臼山城に登城すると、南東方向の山頂部が文殊山にあたり、ひょっとすると文殊山城の出城かと思えるほどですが、城の構造を見ると別ものか、時期を違えて別に造り直したものかと思われます。

写真の中央部に高圧の鉄塔が立っていますが、ちょうどこのあたりが主郭に相当する場所になります。その主郭部は鉄塔建設の時に周囲が削平されて、遺構の東半分は消滅している状況です。西半分は「コの字」形に南に開く土塁を有する曲輪の構造で、東西に両側を堀切で遮断した完結型の曲輪構造です。

この尾根の西側は後世の土取り工事によって、100mほどが削り取られて山自体がなくなっています。最西端部にも曲輪が並んでいたものと推定されますが、確実なことは不明です。

東側は角原集落の墓地がある谷の奥にあたり、自然地形を利用した大堀切が確認されます。この先、東側の尾根線は高度を上げながら文殊山の山塊に連なっていきます。北斜面部に腰曲輪が数ヶ所確認されるほかは、目立った遺構はありません。

ここで北茶臼山城で確認された主郭部の「コの字」形の土塁ですが、いわゆる掻き上げによる土塁ではなく、自然地形を削り落としたものによると思われ、注意を要します。

その意味で、土塁囲みの曲輪があると言っても、安直に織豊系の城郭の技法が入っているとは考えないほうがよろしいかと思われます。
このあたり、もっと周辺の山城を踏査して比較検討する必要があると思っています。
因みに北茶臼山城の周囲にある三峰城、文殊山城、丹波岳城などではいずれも土塁囲みの曲輪は確認されていません。足羽地区の山城築造の展開過程を捉えるうえで、貴重な類例かと思われます。
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