福井の城館めぐりを振り返って(3)

編集_大森町天目山城跡の踏査2016年10月27日 003福井市大森町天目山城(天日神社から望む)
昨年の秋から今年の春先にかけて、集中的に県内の山城を踏査しました。そのなかで、実態不明の山城がいくつか残っていますので、この機会にと踏査しました。

旧清水町大森にある天目山城跡はそれらのうちの一つです。
「越前国城跡考」には時代不知、築城主も不明です。ネットなどで調べると踏査した記事が掲載されているものがありました。それらによると、二重堀で囲まれた砦のような城跡だとあります。

この単郭構造で回りに空堀を巡らす城砦跡については県内では若狭の美浜町にある狩倉山付城のほうがよく知られています。それまで、こうした形態の山城は県内ではほとんど知られていず、珍しい形態の城砦跡だと考えられてきました。
しかし、今回越前でもよく似た構造の山城遺構が確認されました。狩倉山付城は二重の空堀が巡ることで知られていますが、天目山城跡も同じく二重構造です。

天目山城跡については2016年10月28日付でブログアップしていますので参照ください。

そうこうしているうちに、年が明けて2月の初旬に旧朝日町大谷寺の東にある荒神ヶ峰城跡を踏査し、この山城も基本的に単郭で、周囲に空堀を巡らす楕円形の形状をもつ構造の山城であることが判明しました。
結果的には3月のあわら市上野山城跡の例を含めて3例の山城が、狩倉山付城と同じ構造の城砦跡であることが確認されたわけです。

越前市荒神ヶ峰城砦の踏査 (9)越前市荒神ヶ峰城跡へ向かう大谷寺の分譲墓地(城跡は右側の山嶺)
荒神ヶ峰城跡については2017年2月8日、9日のブログでアップしています。そちらの記事もご参照ください。
今回の踏査で、いきなり3例も見つかったことはとても驚きでした。これはたまたま見つかった、ということではなく発見されるべくして発見されたと言っていいと思います。

むしろ今まで、こうした事例に巡り合わなかったことが不幸なことであって、今回ようやく各事例の検討を通じて城砦跡の構造解明が飛躍的に進む可能性が出てきたことになります。

美浜町狩倉山付城美浜町狩倉山付城『福井県の中・近世城館跡』より引用、一部改変
狩倉山付城は立地する丘陵の標高が約60mで、敦賀から小浜に向かう若狭街道の北に隣接した低丘陵上にあります。
越前の3例はいずれも標高200m前後の丘陵上にあって、いくつかの嶺が交差する場所に築かれているという共通項が見られます。

荒神ヶ峰城遺構模式図越前市荒神ヶ峰城遺構概念図
荒神ヶ峰城の麓下には小倉集落があって、「越前国城跡考」に仏性寺の近くに織田信長によって小倉城が築かれた、とあります。実際には現地を歩いても城跡の存在は確認できませんが、天正3年に越前へ再侵攻した時、この地にも織田勢が進攻してきた可能性は十分考えられます。天目山城もここからすぐ北の方角で、無関係のものとは思えません。

あわら市の上野山城跡でさえも、天正3年前後の一揆勢と信長軍との戦いに関連した城砦跡として十分余地が残されています。
竹田から大内峠を越えて加賀へ抜ける間道の入口に上野山城が位置しているからです。

マ、想像の輪はズンズン広がるばかりですが、予断は禁物です。他の城郭調査の充実を待って掘り下げて行きたいと思っています。
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