朝倉義景の書状発見

朝倉義景書状発見
福井新聞4月28日(金)に朝倉義景の新しい書状が発見された、という記事が載りました。
元亀四年(1573)3月に出された書状とされ、あて先は近江高島郡朽木荘の領主朽木元網(手紙では佐々木弥五郎名)です。

朝倉氏最後の城主義景は、天正元年に織田信長に敗れて滅亡したという歴史があり、どうしても敗者の負のイメージ、時に文弱、時に優柔不断などの評価が付きまとう存在として扱われていますが、これは当を得ていない、的外れの指摘であるかもしれない、という再評価の動きがここ数年の間に起こってきていました。

朝倉義景書状発見2
その動きに合わせた今回の文書発見のニュースは大変興味あるもので、義景に付きまとう暗いイメージを払拭していくための契機になればと、城歩きマンは大歓迎します。

要するに、今回の文書発見によって、義景は信長を倒すための各勢力との共同戦線を張って、積極的に情報合戦や裏工作を行っていたという有力な証拠が出てきたということであり、今後の戦国大名朝倉氏研究の貴重な史料になっていくことは必至でしょう。

福井県ではこうした歴史上の人物の再評価が叫ばれることが今までにもいくつかありました。
話がそれてしまいますがご容赦ください。

その一番大きな話題は何といっても、松平忠直公でしょう。大坂の陣で手柄を立てたのにも拘わらず、恩賞が不十分だったとして幕府の処置に反発してご乱行に及んだ、という従前の人物評価は正しくない、とする意見が最近あちらこちらで出されて、波紋を呼んでいます。

また、一時期ですが朝倉氏に仕えて、信長のもとへ去り足利義昭の将軍への道筋をつくったと言われる明智光秀は、信長の重臣としてつとに有名ですが、信長を裏切って本能寺に滅亡させたという逆臣の誹り…。
かつて朝倉氏のもとで働いていた時期には東大味の一角に屋敷を与えられて、一乗谷に出仕していたと言われ、その地元では朝倉氏滅亡後にも東大味の領民のために便宜を図っていた、とし明智神社を祀って今もその遺徳を偲んでいます。
そこから明智光秀の人物像の再評価の動きが、作家中島道子さんから始まっています。このことは知る人ぞ知る有名な話ですね。

さらには南北朝期の南朝方の武将、新田義貞は政治家としての知略に欠けていた、という低評価についても最近見直しの動きがあります。

いろいろとこうした動きの中で、朝倉義景に対する見方が少しずつ良い方法に変化していってくれれば、これにすぎる喜びはありません。城歩きマンの中世山城の研究も、一に根源的な思いはこうしたことに由来しています。
隣の滋賀県や岐阜県あるいは北陸の各県と比較しても、中世城館の研究は低レベルで、日本史上で重要な戦いや事件があっても、これを雄弁に語る現地史資料に欠ける憾みがずっと長い間存在していました…。

城歩きマンはこうした事情を少しでも解消していき、福井の中世山城の解明に微力を捧げたいと念じています。
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COMMENT 2

闘将!刑部  2017, 05. 05 [Fri] 15:53

No title

 城歩きマンさんが思ってらっしゃる通り、越前朝倉氏の評価がとても低いことに(特に延景(義景))私も残念に思っており、これを再評価し払拭されることを願っています。

 評価が低いという根底には、
・粟屋氏が籠る国吉城を落とせない。
・一揆大国の隣国加賀より侵攻をたびたび受ける。
・堀江氏などの有力家臣から裏切られる。
 最後は、一族景鏡から弑逆される。
・次期有力将軍候補の義秋を奉じて上洛をしようとしない。
・姉川の戦いなど重要な合戦に本人が出てこない。
 家臣を総大将(軍奉行)として出兵。
・信長包囲網でやっと本人が出てきたかと思えば、
 もう一歩というところで本国へ引っ込む。
・滅亡時の行動は逃げ腰の姿の様で、一乗谷で一戦もせずして
 大野に身を隠そうとしあっけない最期。
・朝倉時代を通して越前国外へ侵攻するという積極的な行動ではない。

(う~む。払拭したいと願っているものの、負のイメージが
 サッとだけでもこれだけ出てきてしまうとは…(苦笑))

 見方が違っていて反論するものもありますが長くなるのでここでは止めまして、
大河ドラマなどの時代劇ものの義景の演出方法は、体たらくな姿として表現される
のが常です。
 これは、桶狭間で討たれた今川義元の完全公家化とした姿で、
大国を治めているもののいかにも情けない武将として描きだされるようなものと
同じようなことですよね。
(義元も氏真もそうですが、再評価されつつあります。)

 これはやはり、勝者側としての記録によるもので描かれていることと、
敗者側の資料が極力に残っていないことにより、真実という姿がなかなか
見い出せない状態なのだろうと思います。

 そういった中で、今回の新史料の発見は、とても貴重でこれにより真実に一歩
近づけれるというものになろうかと思います。

 義景さん、のほほ~んとしていたのではなくて、
奉公衆の朽木氏に根回しをして、織田方の情報収集等を図っている節が
みられる内容なので、ちゃんと行動をとっていることが分かりましたね。

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城歩きマン  2017, 05. 05 [Fri] 23:10

闘将!刑部さん、コメントありがとうございます。

同じようなお考えをもっておられることが分かり、とても勇気づけられました。
人に対する評価やイメージは一度固まってしまうと、これを修正するのは大変難しいことです。

ですから、人物や歴史の事柄に対しては、慎重な扱いが大事だということが身をもって知らされる、ということになるのですね。
自分への戒めとしたいと思います。

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