越前市府中城跡の現地説明会を見学しました(2)

府中城跡現地説明会2017年5月7日 (6)府中城跡調査区全景(南西隅より)
5月7日(日)、越前市の府中城跡現地説明会に参加しました。
府中城跡の発掘成果が見学できるということで、とても期待していました。

昨年ごろかと思いますが、この西隣りの市役所駐車場建設に伴う事前の発掘調査でも、現地説明会がありましたが、これには当日用事が重なって参加できませんでした。今回は何とか実現できて、とても楽しみな見学会となりました。

発掘面積は約3,000㎡に及び、まとまった範囲を発掘していますので、府中城跡の一角を掘り当てているだろうと想像されます。
『福井県史』絵図・地図編に城下絵図が収録されていて、特に正徳元年(1711)のものを参考に江戸時代末頃の本多氏の居館跡(または居城跡)を想像することができます。

府中城下絵図(正徳元年)「府中城下絵図」『福井県史 絵図地図編』府中城下絵図(正徳元年)より引用、一部改変
『日本城郭全集』府中城の項に府中城についての詳しい記述がみられ、絵図から推測すると、居館は北陸街道沿いに東側に位置していて、南向きに入口があるとしています。

府中城跡現地説明会2017年5月7日 (3)発掘区西半分(北側より)
またその規模は東西約100m、南北約180mで、東側と北側には古堀が廻っていると言います。実際に発掘調査では、東端で堀跡や石垣が検出されていて、どうやらその辺りが絵図に言うところの古堀にあたるところかと想像されます。

その外側にはさらに外堀があって、南北に長さ約506m、幅約29mほどになると言います。日野川の流れの一部を堀として取り込んでいたものかと推測されています。

府中城跡現地説明会2017年5月7日 (1)発掘区東端の石垣
堀跡や堀に沿って築かれた石垣は後世の校舎建設や、市役所の建物を建設する際に削平、または埋め立てられて、ほとんど遺構は残されていませんが、一部辛うじて遺ったところがあって、石垣の構造や時代的なものを推定できます。

石垣の石は日野山から切り出した流紋岩が主体になっているそうです。掘り出された直後ですが、全体に黄色味を帯びて柔らかい印象を持ちました。
粗割のまま、野面積みで積み上げた石垣は高さ約1~1.2m、幅にして約5mほどが遺っていますが、その裏側にも古い時期の石垣が埋まった状態で確認できますので、恐らく本多氏が入部してきた頃に、堀、土塁が拡張されたことを示しているのでないかと推測されます。

府中城跡現地説明会2017年5月7日 (2)発掘区中央部(北側より)
一方、居館内部の様子はどうでしょうか。
発掘によって、2時期の面が確認できると説明がありましたが、直接、目視できるのは江戸時代末頃の本多氏の屋敷の面だと言います。その直下に本多刺入部前後の時期の遺構面があると言いますが、発掘現場ではどの面がそれにあたるかは説明されていず、よくわかりませんでした。
先ほどの堀、土塁石垣では新旧2時期のものが確認できましたので、その辺りから面を追求すれば、下層のことも分かるかも知れません。

府中城跡現地説明会2017年5月7日 (4)南北に流れる石組の溝(後世の校舎の基礎工事で掘削が入っていて、石組の片側は失われている)
屋敷の分は現市役所建物の裏側で、武生東小学校があった場所です。基礎工事で大きな掘削が入っているところは遺構が失われているのですが、それ以外は何とか遺構面が遺存していて、溝跡、礎石建物跡、井戸跡、石敷き跡等が見つかっています。

府中城跡現地説明会2017年5月7日 (5)東西方向の溝(溝の最上部は後世の工事で一部削平を受けているようです)
府中城跡現地説明会2017年5月7日 (7)発掘区の最西端で見つかった石製鬼瓦(ウン像)
発掘範囲は絵図でいうところの北東部にあたり、南側の正面の位置よりは少し北にズレています。
またごみ穴のような遺構も見つかっていますので、屋敷の表向きというより、内向きの台所や倉庫、便所などが配置されたところかとも想像されます。
これ以後にも下層の発掘調査が続行されるそうなので、7月頃には下層の様子が見学できるものとこちらも大いに期待がもたれます。
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