成願寺城―地域おこしと城山巡り(7)

し成願寺城遠望001成願寺城遠望(足羽川堤防上から)
成願寺城は、一乗谷城のところでも触れましたが、福井市成願寺町の背後の山嶺に曲輪を連ねる連郭式の山城です。

『日本城郭大系』の「成願寺城」の項で、「朝倉盛衰記」の記述に触れて、成願寺城を一乗谷城の三ノ丸に相当する位置付けをして、東大味城を二ノ丸に相当する出城だとしています。

言い得て妙、の表現ですね。
ここから一乗谷城を真ん中にして「鶴翼の構え」という形容句が生まれたことも知る人ぞ知る話です。

成願寺城位置図「一乗谷・東郷散策マップ」(東郷公民館発行パンフより引用、一部改変)
先の記事で成願寺城は古墳群と重なっている複合遺跡だと言いましたが、もうひとつ、波着寺という中世禅宗寺院の寺域とも重なっている、三重の複合遺跡なのです。山城の中心曲輪がある山頂部分の南側中腹に寺跡の平坦部が遺存し、観音堂跡や鐘撞堂が確認されます。山麓の成願寺町の中ほどに波着寺・観音堂跡へ通じる鳥居が今も苔むした状態で残っています。

城跡は、尾根線に約1㎞にわたって延々と続き、篠尾町の地籍にまで及んでいます。もちろん、先に記した通り、この城跡は古墳群と重なっているため厳密に古墳と曲輪を峻別しなければならないのですが、おそらく、古墳の高まりも曲輪のひとつとして代用されたことは想像に難くありません。

この尾根線上に堀切、曲輪、土塁をもつ曲輪、竪堀、畝状竪堀などの遺構が約40ヶ所余り確認されています。一乗谷城の出城としては規模の大きな山城になります。
成願寺城の特徴は、本城である一乗谷城とともに畝状竪堀が施されていることで、中心曲輪の周囲に8条確認されています。
ここから、成願寺城が朝倉氏の重臣が城守として居城したこととも併せて、畝状竪堀が朝倉氏の築城技術の代名詞のように扱われる根拠のひとつになったものと思われますが、いかがなものでしょうか。

編集_IMG_20170520_0002_NEW - コピー『福井県の中近世城館跡』より引用、一部改変
成願寺城は地元の「波着寺を守る会」によって、寺跡とともに手厚く保存されています。ただ、山城全域にわたって見学道路が完備されているかと言えば、その辺りはまだ未整備部分も残していて、今後に期待したいと思います。
そのようなわけで、城跡の見学は波着寺、中心曲輪までの範囲で見学可能です。

また、成願寺町の隣、篠尾町、高尾町には篠尾館跡、高尾館跡など居館跡があったことが分かっていて、この辺りは一乗谷の城下町の一部に入っていたと思われます。篠尾館は前波九郎兵衛の屋敷、高尾館は朝倉氏に仕えた医師、谷野一栢の屋敷と言われています。

山城へは自家用車でアクセスする場合は、近くにある「酒生公民館」か「成願寺ふれあい会館」にお願いして駐車させてもらうようにしましょう。成願寺集落の中は道幅も狭く、駐車スペースはありません。
バスの場合は京福バスで大野線に乗り、「成願寺口」で下車して真っすぐ北が成願寺城です。麓まで歩いて5分ほどの道のりです。または池田線で桜谷まで行って、そこから登城することもできます。

成願寺城へは入口の鳥居のある場所から30分ほどで寺跡に到着、そこから中心曲輪までは直近の距離です。道案内の標識もあり、迷うことなく登城できる状態になっていますが、やや傾斜の強い、急勾配の山道でもあり、雨上がりの時などは滑らないように注意が必要です。
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