坂下城―地域おこしと城山巡り(9)

プロフィール
福井市・永平寺町にまたがる坂下城跡は、従来からいろいろな呼称があって、事実混同も見られるなど、分かりづらい城跡でした。
しかし、戦国時代末に柴田徳永によって築かれた城跡と考えられるところから、このコーナーで取り上げることとしました。本ブログでは2013.3.21「福井市坂下城に挑む」でアップしています。

坂下城が所在する位置は、福井市坂下町の南東の方角約500mの山頂部で、北側の麓には福井市岡保方面から旧松岡町へむかう街道が走っており、戦国時代から朝倉街道と呼ばれて交通の要衝ともなっていました。
朝倉氏が滅亡した後に、この地に入ってきた柴田勝家は家臣の徳永を配置し、志比庄方面の要として防禦にあたらせたものかと推定されます。

坂下城遠望坂下城遠望(南西方角から)
城跡は坂下町と旧松岡町西野中の境界、標高約180mの山頂にあって西側は緩やかな緩斜面、北および東側の斜面は急崖となっていて天然の要害を形成しています。
山城遺構はこの山頂部に集中して築かれていて、西側の緩斜面上には点々と古墳が並んでいます。
主郭は最高所の山頂部にあり、細長い方形プランを示しています。その南端に櫓台と思われる高台があります。また主郭部の南および西側に堀切があり、特に南側では三重となっています。一部に石垣を築いている箇所が確認されます。

この山城の大手は北側と考えられ、虎口を示す溝状の窪地がありますが、目視だけでは断言は避けたいと思います。
東側斜面と南側で不鮮明ですが2、3条の畝状竪堀も確認されました。西側は平坦面が数ヶ所で見られますが、藪漕ぎ状態のためはっきりしたことは分かりませんでした。
主客部南側斜面石垣石垣とみられる遺構(三重堀切の北側)
一押しのスポット
やはり、坂下城の一押しポイントは三重の堀切と石垣を葺いた形跡が認められたことでしょうか。柴田氏が越前に入って来てからの築城と考えれば、既に紹介した槇山城や今庄の燧ヶ城などと共に石垣のある山城という共通の例として注目されます。
アクセス
京福バス「岡保線」に乗り「農業試験場入口」で下車して、寮町の墓地造成地の駐車場から山の緩斜面を尾根に向かって登れば山頂に着くことができます。
自家用車でアクセスするときは、この寮町の墓地の駐車場に停めさせてもらって登るとよいでしょう。
現在、きちんと整備されたきれいな登城道はありません。墓地側からの尾根線を上る方法をお勧めします。途中で北陸電力の鉄塔を横切る箇所に出ます。この辺りは古墳群になっています。この道を登り切ったところが山頂部の城跡です。
補足
参考文献『一乗谷城の基礎的研究―中世城館の構造と変遷』2016、『福井県の中・近世城館跡』1987他
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