大野市上舌・御城山城

大野市上舌・御城山城①
大野市上舌・御城山城南側入り口
10月18日(木)大野市上舌にある「御城山(おしろやま)城」(標高230m)の城跡に案内板や見学道路が整備され、城跡が見学しやすくなった、との記事が新聞に出ていましたので、早速、天候は雨模様でしたが現地に行ってきました。
この山城は、南に隣接する茶臼山城と一体の城として知られています。古くは、南北朝の延元2年(1337)に新田方の武将、堀口兵部大輔氏政が大野居山の城から出撃し、香下、鶴沢、穴間、川北など11か所を攻め落として、河合の石丸城に集結したという記事が『太平記』に出てきます。
この時の香下は上舌に充てられ、城は御城山、茶臼山城が該当すると推定されています。
さらに『越前国城跡考』では、堀口兵部の他に武衛一族や朝倉彦之丞が居城したとしています。
武衛一族とは室町時代の越前守護、斯波氏一族のことであり、朝倉彦之丞は、戦国時代朝倉氏の同名衆でしょうか。いずれにしても多くの武将がこの山城を用いたことは確かなようです。
城歩きマンは時間の都合もあったのですが、北側の「御城山城」を実際に歩いてきました。北側の入口は新しく階段が設けられて見学道路が整備されていました。また、最南端の入口には上りが急なこともあり、タイガーロープが張ってありました。
大野市上舌・御城山城②
大野市上舌・御城山城の二重堀切
現地の案内板で説明されている山城の形態は、南北朝期のものだとしています。実際に2か所に設けられた曲輪には堀切、二重堀切があり、このうちの南端の曲輪には裾に空堀、土塁が巡っています。40基にも及ぶ古墳群と重なり、要所を堀切と曲輪で構成した、連郭式の山城であるのは確かなようです。南側にある茶臼山城に行けなかったのが残念です。近日中にこの城山も踏査したいと思います。
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