出雲・因幡の史跡めぐり(7)

鳥取城見学 (15)鳥取城二ノ丸東、天球丸遠望(南から)
出雲・因幡の史跡めぐりの旅、この後は鳥取城のある鳥取市街地に向かいました。砂の美術館からは約5㎞の距離です。
お昼は鳥取城に着いて、見学を済ませてから近くのレストランで…、と思って現地まで行ってみたのですが、回りは静かな住宅街で、城以外には県立博物館や鳥取西高校の校舎があるだけで何も見当りません。
鳥取城パンフ鳥取城見学用パンフ
博物館内に見学者用のレストランがあったのですが、お客さんが満杯で、なかなか順番が回ってきません。待ちきれずそのレストランを出て、他を探すことに。
パートナーのタブレットで探すと意外に早く見つかり、近くの東町3丁目の小さな食堂で食事をとることができました。


話を戻しますと、鳥取城は但馬守護、もしくは因幡守護山名氏によって築かれたと言われていますが、詳しいことはあまり分かっていません。鳥取城を有名にしたのは秀吉の兵糧攻めにも耐えて、最後は調略によって城主吉川経家が開城したという、要害堅固の城郭として知られていることによります。
鳥取城は近世以降もこの山城を中心に城郭を改修して利用し、鳥取藩池田氏32万石の城下町として明治まで存続しました。

鳥取城見学 (1)西坂下御門前の説明板
このように鳥取城は近世も山城として十分機能していた城郭なのですが、あまりこの点は知られていません。
鳥取城見学 (2)西坂下御門(西から)
近世の山城としてよく知られているのは、第一には奈良の高取城、ついで美濃の苗木城、あるいは越後の村上城、備中の松山城、石見の津和野城等々。しかし、この鳥取城もれっきとした山城をもつ城郭です。

鳥取城見学 (4)二ノ丸北西隅に築かれた登り石垣(嘉永2年の拡張による普請と言われます)
鳥取城見学 (3)西坂下御門奥から二ノ丸に通じる裏御門、三階櫓石垣を望む(西から)
鳥取城見学 (5)二ノ丸へ通じる裏御門跡(北から、左の石垣は三階櫓跡)
鳥取城見学 (6)二ノ丸三階櫓跡(南から、三階櫓は明治12年ごろまで遺存したが、その後取り壊された。鳥取城の天守として使用されていた)
鳥取城が興味を引くのは、単に鳥取城だけの整備に止まらず、近くの山頂部に築いたという、秀吉の陣城、太閤ヶ平(なる)をも同時に復元整備したということにあります。
鳥取城見学 (7)二ノ丸菱櫓跡から天球丸、楯蔵跡を望む(手前下は大手門から続く登城路の復元道路)
鳥取城見学 (8)大手門から続く二ノ丸の表御門跡(内側から、奥の高台は天球丸の曲輪)
鳥取城見学 (10)同、表御門跡(外側から)
今回は、ついでの見学だったので、とても山深くまで分け入っての登城はできません。鳥取城の本丸である「山上ノ丸」さえ、クマ注意!の看板があって、思いとどまりました。
鳥取城見学 (14)二ノ丸菱櫓跡、向かって右は天球丸の石垣
鳥取城見学 (12)天球丸全景(北西より)
太閤ヶ平は登城口から約50分、鳥取城本丸から尾根伝いにいくと1時間もかかる道程です。
お気軽にチョチョイのチョイで登ろうとしても行けるものではありません。
鳥取城見学 (13)天球丸全景(南より)
しかし、最近の鳥取城の石垣や各曲輪の復元整備には目を見張るものがあります。他の県の多くの近世城郭が、石垣の復元を中心に整備が進められている中で、鳥取城は最後に残った本格的な復元工事となっていて、さすがに見ごたえがありました。

いつか、日を改めてじっくりと見学する必要がありそうです。そんなことを考えながら、鳥取城をあとに、家路に着きました。
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