天神山砦―地域おこしと城館巡り(13)

福井市天神山砦の踏査2017年2月28日 (1)天神山砦跡(北西から)
この山城は、つい最近登城したばかりの城跡で、ある意味で新発見に近い城跡と言えるものです。本ブログでは2017年3月10日でアップしていますので、ご参照ください。

旧清水町(現福井市)大森に所在する天神山砦跡は「越前国城跡考」や「名蹟考」に記載されておらず、従って詳細不明の山城と言えるものです。実際に本当に遺構があるかどうかも、現時点では分かりませんでした。
唯、『福井県の中・近世城館跡』で取り上げられているものだということで、位置図を頼りに現地踏査を実施しました。

旧清水町や朝日町には山間地荘園が多くみられ、古くから開発された土地柄でした。京都賀茂社や仁和寺、あるいは公家領の土地が多く点在し、戦国時代には一向宗の拠点もいくつかあったようで、それに関連する城跡が散見されます。坂井郡や足羽郡のように朝倉氏の一円支配で統制されていた地域とは様相が大分異なっているのではないか、という予測をもたせてくれます。

福井市天神山砦の踏査2017年2月28日 (8)天神山砦跡主郭部東の堀、土塁
プロフィール
県道6号「福井四ヶ浦線」で市街地から日野川の久喜津橋を渡り、天下(てが)をすぎて大森集落手前の標高88m天神山に砦跡は所在します。
志津ヶ丘団地北端にあたる山道から東に迂回して、南側にひらく谷筋から山頂部の城砦跡を目指しました。やや傾斜の緩い谷道を尾根に向かって20分も歩いたでしょうか、すぐに尾根線の鉄塔近くに到達できました。

ここからは左手前方、大森集落や滝波集落が遠くに見渡せて、やはり見張台としての位置をしっかり確保した場所であったことが了解できます。
鉄塔から150mほど北に小さなお堂の建物がありましたが、あばら家状態で大きく傾いて今にも倒壊しそうな気配でした。

この御堂のある山頂部が砦跡と思われ、約20m四方の方形台状の曲輪に腰曲輪が取り巻いているのが確認できました。
腰曲輪は東側では土塁を伴っていて、腰曲輪も長さ18mにわたって空堀状に延びています。北側は傾斜のきつい斜面となっていて、幅約1.5mほどの腰曲輪が主郭斜面に沿って取り巻いています。西側は段違いに一段下がって、腰曲輪が南側に直線的に延びて、鉄塔側の尾根道につながっています。

山頂部は御堂が建っている外はなにも構造物はなく、雑木で蔽われている状態です。ここからの眺望は望めず、位置的な確認はできませんでした。

天神山砦の縄張りは山頂部の御堂のまわりだけではなく、南西側鉄塔周辺の尾根上にも段曲輪が2~3ヶ所確認できますし、御堂との中間地点の尾根でも東側の谷筋に向かって緩やかな緩斜面が続き、やはり3段の平坦地を確認しました。いずれもこの天神山砦に付随した遺構群と判断でき、これらを含めて山頂部一帯約200mの範囲を城跡と考えたいと思います。

一押しのスポット
この城跡は名称こそ天神山砦、となっていますが単郭構造の陣城ともいえる自己完結型の山城だと言えるでしょう。
主郭部の腰曲輪は四周をめぐり、東側には土塁と堀切が明瞭に遺存しています。大手口は南側の尾根線からの登城道と思われ、南端部(鉄塔がある曲輪)に虎口があります。
ここから南に段差を伴って小さな段曲輪が取り付き、山麓部へと通じています。
鉄塔からの眺望は大森の集落が真下に見えて、すぐ西側には道をはさんで向かい側に天目山城も見えます。
大森周辺城館位置図大森地区周辺城館位置図(国土地理院地図を引用、一部改変)
アクセス
京福バスで旧清水町、越前町方面行きの茱崎線に乗り、清水診療所のバス停で下車します。そこから南の大森郵便局のある三叉路まで歩き、東の方向に少し進みますと天神山に向かう谷道があります。この谷道を道なりに山頂に向かって進むと城跡に着くことができます。山城まで10分ほどの道程です。
自家用車でアクセスする場合は、天神山の麓の農道に通行の邪魔にならないように片側に寄せて駐車し、そこから徒歩で山頂部まで進みます。
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