天目山城―地域おこしと城山巡り(14)

編集_大森町天目山城跡の踏査2016年10月27日 003福井市大森天日神社と天目山城跡
本城跡も天神山城跡と同じく、つい最近現地踏査して、その実態をきちんと把握できた山城のひとつです。そして、その形状が越前では大変珍しい二重の円形の空堀が廻っている山城であることが分かり、山城の種類の多さ、多様性に驚いている次第です。
本ブログでは2016年10月28日付でアップしていますので、ご参照ください。

プロフィール
天目山城は福井市(旧清水町)大森にある山城で、むかしの記録である「越前国城跡考」にも時代不知の城として認知されています。
従って、誰の築いた城であるかは分かりませんので、いつの時代の城かもはっきりしたことは特定できません。しかし、そんな不安を吹き飛ばすほど、この山城は興味ある形態をもっています。

編集_大森町天目山城跡の踏査2016年10月27日 011二重空堀の様子(東側斜面)
まわりに二重の空堀が巡っているのです。時代をはるかに遡って古墳時代には村里近い山の尾根上に円形や方形の古墳を築いて死者を弔うことが行われていました。権力のあった支配者には前方後円墳が築かれることもありました。
そんな時代のものなら、このようなかたちは特に珍しいものではありませんが、戦国時代のものだとすると、越前ではほとんど見つかっていない形態、ということになり、とても珍しいものと言えます。

唯一、若狭の美浜町佐田というところに、これと全く同じ形態の山城が確認されています。狩倉山付城(砦跡)と呼ばれています(2015年10月9日付「美浜国吉城周辺を歩く(1)」でアップ)。美浜町のほうは二重に空堀が巡り、径は約100mですが、天目山のほうはそれよりは小ぶりで、径約30~40mの規模です。古墳の可能性もかなりありますが、古墳と判断するには墳頂部の盛り上がりがなさすぎますし、回りの堀も深すぎます。ここはやはり、砦などに使われた小規模の城跡と考えたほうが良いと思われます。

同じような例が今年に入って、3月までの踏査でさらに2ヶ所見つかりました。
あわら市後山地区の上野山城跡、そして越前町(旧朝日町)荒神ヶ峰城跡です。いずれも円形、または楕円形をしていて回りを一重、二重に空堀が巡ります。
上野山城は木曽義仲伝説上の城跡ですし、荒神ヶ峰城は別名豊蔵城とも言い、太平記にも登場する山城です。どちらも内容不明の山城でしたが、3月の踏査によってその性格をほぼ明らかにできました。この2例については、別項でも詳しく触れます。

一押しのスポット
天目山城は、南北朝時代に新田義貞が築いた、という伝承がありますが、確かな根拠はありません。
また、室町時代や戦国時代に城の防御方法として二重の空堀を築いた、という記録もありませんので判断のしようがないのですが、美浜町の狩倉山砦跡は朝倉氏が国吉城の粟屋氏を攻撃するために築いた陣城であるとか、最近は賤ケ岳の戦いの折り、若狭を支配していた丹羽氏が秀吉の命を受けて、柴田氏を包囲するために築いたのではないかという見方も出ています。

この見方が妥当であるとするなら、天目山城跡も同じような時期に築かれたと推定することは可能です。他の上野山城、荒神ヶ峰城も同様です。
しかし、まだ不明な点も多いため、今後の進展に期待したいと思います。

アクセス
前回の天神山砦のアクセスと同様、京福バスで「茱崎線」に乗り、大森で下車。すぐそこが天日神社です。この神社の階段を上った境内の奥に城跡があります。徒歩約10分。
現在、林道工事が行われていますので、重機などの作業中は特に注意が必要です。
自家用車でアクセスする場合は、大森地区の賀茂神社隣りにある「睦月神事会館」の駐車場に停めさせてもらうようにしましょう。
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