鷹巣城―地域おこしと城山巡り(16)

2003_0810_225743-DSCF0376.jpg坂井平野側から高須山を望む(中央の山)
私事ですが、城歩きマンが現役の頃、福井市史の編纂事業に加わって中世の山城について現地調査をしていた時、市役所の担当の方と一緒に夏場の暑い頃だったかと思いますが、ヒイヒイ言いながら標高438mの「高須山」に登城したことがあります。
それ以前にも何度か登城しているのですが、大分昔のことで、記憶も定かではありません。
プロフィール
マ、そんなことはどうでもよいので、本題に入ります。
城歩きマンはこれまでの認識では、鷹巣城は南北朝期に新田方の武将の畑時能(ときよし)が立て籠もった山城で、その後には利用された形跡も見当たらないので、古い時期のものと考えてよいと思っていたことがあります。

しかし、それは間違いだと分かり、今では何度か修復が施された、活用期間の長かった山城だと考えています。もちろん、最終時期は、戦国時代末で一向一揆が信長の越前侵攻に備えて鷹巣山に新たに城を築いたとありますので、その時期のものが遺存していると考えています。
唯、正確な当初の築城時期については記録もなく、南北朝期に畑時能が立て籠もったとあるのみで、その時期には既に存在したとの判断がなされています。

編集_IMG_20170626_0001_NEW - コピー鷹巣城跡遺構概念図
遺構は山頂部を中心にして曲輪、堀切、土塁、空堀が確認されています。中心部にテレビ局の中継アンテナ用の鉄塔が立てられて、虎口部分の遺構の様子が分かりにくくなってはいるものの、その他の部分は概ね保存されていて、状態も良好です。
山城は山頂部の地形に沿うように、二等辺三角形をしています。その中央部が主郭部と考えられ、輪郭式に曲輪が取り巻いています。東と西の先端部に堀切が刻まれ、西側斜面には空堀が廻っています。
周囲の曲輪のまわりは急斜面となっていて、登城道以外は這い上がってくるのは非常に困難だと思われます。
編集_朝倉山城主郭部下南側より鷹巣城を臨む2DSCF2377朝倉山城より高須山を望む(奥の山嶺)
一押しのスポット
何といっても山頂部からの眺望は素晴らしいもので、他の山城の山頂から見える景色と比較しても、ダントツ!と言えます。
それは高須山を西側の海岸部の国道305号から見上げたときの雄大さからでも想像がつくというものです。

南北朝期の説話を集めた『吉野拾遺』という古文書にも高須山のことを「…越前のくにたかの巣のやまはたかくそはたちて、城郭にしかるへきところなれは…」と評しています。
これも余談ですが、高須山は、遠く九頭竜川をさかのぼって勝山市街地の川べりからでも見通すことができるほど目立つ山なのです。

山頂からは眼下の三里浜砂丘はもちろん、三国、雄島、東尋坊が見通せ、さらには加越国境の山嶺も坂井平野をずーっと見越して眺望することができます。この山は、そういう意味で天然の要害という形容がピッタリの山城と言えるでしょう。

アクセス
京福バス「鮎川線」に乗車して、「橋屋」バス停で下りて南へ、高須川に沿ってさかのぼるように徒歩で高須山に向かいます。距離にして約5㎞、1時間の道程で高須集落に着きます。ここから高須城小学校の裏側を通って、登城道を進み、高須山へ向かいます。ここからは徒歩約40分。

自家用車でアクセスする場合は、直接高須集落の白山神社横、集落センターに駐車させてもらうようにしましょう。高須山の周囲には林道が数ヶ所に開かれていますが、作業用の林道で、ほとんど舗装がされていないため、道幅も狭く通行するには危険です。なるべく麓の集落センターに駐車することをお勧めします。
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