安居(あご)城―地域おこしと城山巡り(18)

福井市安居城跡の踏査2017年7月5日 (5)福井市日光橋から安居城跡を望む
福井市下市町と金屋町にまたがる日野川の左岸、小高い丘の上に鎮座する與須奈(よすな)神社から奥へ入ったところが安居城跡です。
福井市安居城跡の踏査2017年7月5日 (2)西側(金屋町)から見た安居城跡
プロフィール
この城跡は山城ではありませんが、南北朝時代の軍記物と言われる『太平記』に登場する著名な城跡で、「足羽七城」のひとつにも数えられています。北朝方の斯波高経の家臣、細川出羽守が居城したと言い、室町時代には千秋安居一族がこのあたり一帯を治めていました。その後朝倉氏の時代には一族の朝倉孫三郎景健が居城し、朝倉氏が滅亡した後は戸田武蔵守勝成が居城しています。

安居城跡遺構概念図安居城跡遺構概念図
城跡は前述の與須奈神社の境内から北に延びる高台の平地部分で、入口には細い通路の奥に虎口状の土塁があり、平地は奥行き50mほどの広さがあります。南側の狭い谷部は集落の墓地として整備されていますが、この付近にも城跡の曲輪が並んでいた可能性があります。現状は改変を受けて遺構の有無を確認することは出来ません。戸田勝成が居城していた時には、この最高所の平地部分に居館があって、安居の渡しを通行する船や荷物を運搬する通行人を取り締まっていたと思われます。

福井市安居城跡の踏査2017年7月5日 (4)下市ため池コースの案内板
安居城は、歴史上何度も登場し、多くの戦いにも利用された城跡の割りにはその形跡を示す意向はあまり顕著に残っていません。朝倉氏の居城であった黒丸城にも遺構が遺っていないのと軌を一にしています。もう少し周辺の詳細な踏査が必要だと思われます。

福井市安居城跡の踏査2017年7月5日 (1)安居城跡(主郭部)
また、安居城の西側は朝倉氏が手厚く保護したと伝わる、臨済宗妙心寺派の弘祥寺跡があり、地元では下市山ウオーキングコースと併せて、この地区一帯を見学しやすいように遊歩道を設けて整備し、カタクリの群生地など、季節には色鮮やかな花が一面に咲き誇って、見学者の目を和ませています。
福井市安居城跡の踏査2017年7月5日 (6)春先にはカタクリの花が咲きましたが、今はアジサイ…
一押しのスポット
この城跡見学の一押しのスポットは、川べりにたつ與須奈神社の長い階段を上り、境内に立つと、眼下に日野川が見下ろせることです。その昔、足羽川のもとの流れとの合流点にあった渡河点に漆の大木が生えていたという「漆ヶ渕」伝説のあたりも見通すことができます。
福井市安居城跡の踏査2017年7月5日 (3)安居城跡の西側にある「弘祥寺跡」
アクセス
安居城跡へは京福バスで「西安居線」か「桜ヶ丘団地線」に乗り、市も市で下車。すぐそこの高台が安居城跡です。自家用車で行く場合は、與須奈神社登り口の脇にある「かめやま広場」に停めて、そこから「下市ため池コース」の登り口に向かいます。登り口の看板からは山道を2,3分上れば城跡です。
補足
※足羽七城=南北朝時代に北朝の斯波氏が新田氏らの南朝の攻撃に備えて、足羽庄内に七ヶ所に亘って築いたと言われる城砦のこと
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COMMENT 2

怜の父  2017, 07. 05 [Wed] 22:56

お久しぶりです。

安居城の位置を私は勘違いしてました。もっと山の上の方かとおもってました。
以前、この下市山を犬を連れて登って、地元の人に自然保護の為に犬を入れるなと注意されて以来、登れない山だと思ってましたが、神社からすぐなんなら行けますね。
けど意外に低い位置にあるので、守りは大丈夫か心配になりますが、当時はもう少し地形が変わっていたんでしょうね。
戸田勝成は関ヶ原で大谷吉継に従い平塚為広と共に激戦の末に散った武将で大好きなんですが、地元でも知名度が低いですね。もっとアピールして欲しいです(^^;
遺稿が少ないんですかぁ(-.-)
有名な城なんですがねぇ(T_T)

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-  2017, 07. 06 [Thu] 09:39

怜の父さん、お久しぶりです。
コメントありがとうございます。

安居城の地元は、熱心に誘致作戦をやっています。ウオーキングコースで下市山登山ルートを3カ所つくり、それぞれに案内板や、ルート図を載せてとても分かりやすくなりました。
ため池コース、が安居城の登城道になります。城跡の真ん前にあった民家が立ち退いたようで、ここに駐車場ができて、さらに與須奈神社の坂道まで作って、以前とはすっかり風景が変わってしまいました…。

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