多賀谷左近の墓見学記

あわら市多賀谷左近墓の踏査 (1)あわら市郷土歴史資料館(正面から)
2017年(平成29年)7月14日(金)あわら市にある多賀谷左近の墓を見学しました。その前には市内にある郷土歴史資料館で、展示もひととおり拝見しました。


現地の墓所には、ずーっと昔から、一度見ておきたいと思っていたこともあり、猛暑日の気温35度の炎熱地獄の中を、やっとのことで見学を果たしました。

あわら市多賀谷左近墓の踏査 (2)墓所遠望(南から)
ちょうど昼飯時の時間帯ということもあって、車や人の行き来もなく、静まり返った柿原一帯の田園をめぐってきました。墓所は展示や図録の写真にもあったとおり、きれいに再整備されていました。車で行ったのですが現地には駐車スペースがなく、道端にちょいと留めさせてもらう路上駐車ということで、農耕車が来ると慌ててどかなきゃ、となるのですが、滅多に農耕車は来ませんでした。

あわら市多賀谷左近墓の踏査 (3)山十楽の集落手前で右に分かれ道があり、看板が出ています。
現況を確認したいと思い、柿原から山十楽の集落の周りをクルマで流しました。多賀谷左近が居館を築いて、回りに巨大な濠(堀というより、濠のほうがピッタリ来ます…)を巡らしたという地形の状況が現状ではどうなのかを見てみたいと思ったのです。
あわら市など福井平野北部丘陵は洪積台地がひろがる起伏の多い台地ですが、柿原や山十楽もその台地には畑地、浸食によって出来た解析谷を利用して水田がつくられています。

あわら市多賀谷左近墓の踏査 (4)車を停めて少し歩きます
この解析谷が楕円形にうまく回っている場所を利用して外濠がつくられたようです。
現在、濠は埋められてきれいな青田になっているのですが、その部分が今でも崖状に一段低くなって、濠跡の旧状を留めていることが分かりました。左近の屋敷があったという場所は現在、民家が建て込んでいて、具体的なことは分からなくなっていました。
概ね南北に約1㎞の範囲に楕円形に幅約100mの濠が廻っている様子は明治期の空中写真などで確認できます。それは現状でもはっきりと目視できました(写真参照)。とてもリアルです。また、屋敷割、御馬屋、見花場、向山、一ツ橋などの古地名も残っているそうで、何とか当時の情景を想像するばかりでした。
いつか、現地を発掘できる機会があれば、きっと、今以上のことが分かってくると思われ、とても魅力的な「あわらの殿様」の居館だと今更ながら再認識できました。

あわら市多賀谷左近墓の踏査 (5)墓所の入口(南から)
さて、多賀谷左近という人は慶長6年(1601)に結城秀康が越前に入城してきた折、家臣として一緒に福井にはいり、坂井郡3万2千石を拝領して柿原、山十楽の辺り一帯を城下町として整備した武将のことです。2代目の当主を合わせても多賀谷氏の滞在期間が12年ほどと短かったこともあって、福井の人にはなじみの薄い武将名です。

多賀谷館跡位置図多賀谷館跡復元位置図(展示図録に掲載された論稿中より引用、一部改変※)
よく似た事例として、大野には同じ時期に秀康の家臣の土屋昌春と加藤宗月が入っています。このうち土屋は金森長近の跡を、加藤宗月は5千石をもって大野の南部を知行として木本領家に居館を構えました。寛永元年(1624)に松平直良が木本に入って木本藩が成立、城下町建設が行われたものと思われるのですが、加藤が入った木本はその痕跡が殆ど遺存せず、現状では分からなくなっています。現地の式内社高於磐座神社境内に春日山城跡が遺るのみです。

あわら市多賀谷左近墓の踏査 (7)上図中の①からの遠望
さらには多賀谷氏と坂井郡を折半するような形で知行した丸岡の今村盛次も同じです。今村館として現坂井市東田中に跡地が遺ってはいるのですが、現状は遺構痕跡がなく、ほとんど分かりません。

あわら市多賀谷左近墓の踏査 (6)上図中の②からの遠望
このように、今後究明すべき課題は山積していますが、今回の展示のように、あわら市郷土歴史資料館の努力によって多賀谷氏のことが少しでも分かるようになったことはとても歓迎すべきことで、他の遺跡にもこのような追跡の手が伸びていくことを願いたいものです。

補足※吉田純一2017「三 多賀谷氏の柿原館について」『あわら市の殿様 多賀谷左近』あわら市郷土資料館展示図録
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COMMENT 2

じゅん  2017, 10. 04 [Wed] 13:53

多賀谷左近

初めまして。
多賀谷左近の末裔です。今年行った400年法要にも参加しました。
この様に記事の一つとして多賀谷の事が載る事を子孫として喜ばしく思います。
今後も顔を出させていただきます。ありがとうございました。

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城歩きマン  2017, 10. 04 [Wed] 14:23

じゅん様

コメントありがとうございます。
多賀谷左近は柿原の殿様であり、地域の看板です。

これからも地元に愛される殿さまとして、多くの人にも知ってもらいたいと思っています。

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