府中城跡の発掘調査と出土石垣について

編集_府中城跡発掘調査2017年5月7日 - コピー5月の現説時の石垣面
7月20日(木)福井新聞に越前市が進めていた府中城跡の発掘調査について、その中間での成果を発表しました。
5月にも発掘の成果を現地説明会で公表したところですが、今回はその続き、といった感じで城跡の内堀、土塁跡、屋敷内の遺構の状況などを22日の午前10時から現地見学会で報告するということになっています。

城歩きマンはこの日、別に用事があって出かけられません。仕方がないので新聞発表当日の20日に直接現場へ出かけて、様子を見学することにしました。
梅雨が明けたかのような強烈に暑い陽射しの中を、クルマを走らせて旧武生市の市庁舎の一角で続けられている発掘調査現場までかけつけました。早速、現場担当の若い調査員に発掘遺構について説明をお願いしたところ、私は説明できないので、調査責任者の市役所職員さんに尋ねてくれ、ということでした。「なぜダメなの?」と繰り返し聞いても、ダメですの一点張り…。

少々、ガッカリしましたが、市役所の職員がいるという公会堂記念館まで足を運びました。普通の見学者なら、ここで諦めて帰ってしまうところでしょうが、城歩きマンはそうもいかず、言われたとおり、記念館まで歩いて行き、そこで「発掘現場のことで聞きたいのですが」と入口でワケを言うと、奥の部屋へ案内されて、職員さんとやっと話ができました。

編集_府中城跡発掘調査2017年7月15日 - コピー7月現在の掘り下げられた石垣面
最近の行政の発掘調査は、安全性を第一義にして、昔のように訪ねてきた人全員にいちいち、応対するようなことはなくなったとのことでした。そこで、折角職員さんと話ができたので、発掘現場での見学者への対応については、もうちょっと気を利かしてあげてもいいのではないか、とお小言のようなアドバイスをしました。職員さんには余計なお世話だったことでしょう。

そのあと本題に入り、城跡の石垣について、年代をいつ頃に想定しているのか聞きましたが、具体的には分からないということで話ができませんでした。第2層の遺構面と対応しているので、遺物の年代から江戸時代初期~中期ごろの時期ではないかということでした。

この時期で考えると府中城主として慶長6年に入城した本多富正が、天正年間の前田利家のときの城跡に本格的に修復を加えて整備した石垣、堀に相当するのではないか、ということになります。

編集_府中城跡発掘調査2017年7月15日(2)検出された石垣(黄色線から下)
検出されている石垣は日野山で採れる流紋岩の粗割加工された石を積み上げており、横に規則的に並ぶ布積みの手法が見られ、加えて打ち込み接ぎで積み上げている石垣かと思われます。武生東小学校などの建物があった場所なので、土塁の高まり部分は削平を受けてなくなっていましたが、堀内から底にあたる部分が発掘によって現れてきた、ということになります。

全国的にもこの慶長期には各地で築城が行われていて、そこで用いられていた石垣積みの手法には打ち込み接ぎの技法が見られるわけですが、すべての箇所で確実にこの技法が見られるか、というとそうではなく、城郭を築く武将の考え方や当時の縄張の都合、あるいは材料調達の事情、ひいては石垣積みにたずさわった技術者の思い、技術のレベルまでもが関係することになりますから、一概に捉えることは出来ません。石垣編年の難しさがそこにあります。

府中城跡発掘調査結果福井新聞7月20日付(府中城跡の発掘調査結果)
しかしながら、府中城跡での、実際に検出された石垣は約30m分しか残っていませんでしたが、それでもきれいにそれと分かる形で残っているわけですから、素晴らしいものです。福井ではこの時期の石垣で発掘によって検出された例はないと思われます。貴重な発見例でもあるわけです。
現地保存して、今後の学習ジオラマとして利活用できる方策がないものか、行政当局者の方にお願いしたいところです。
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