福井城跡―地域おこしと城山巡り(20)

福井城跡御廊下橋と内堀福井城本丸天守石垣(南西の御廊下橋側から)
福井城跡は福井市の中心市街地、現在福井県庁が入っている場所にあります。もっとも、ここは本丸があった場所で、福井城跡はその周りの二ノ丸、三ノ丸、外堀など片町や宝永町辺りまでを含んで広い範囲が城下町跡を示す遺跡として認知され、名所・旧蹟も数多く残され、観光スポットとして整備されています。

プロフィール
今回はそのうちの福井城の中心、本丸跡をご紹介しましょう。通常、福井城と言えばお堀に囲まれた、この本丸跡のことを指します。
これまでにも福井城については本ブログで何度もとり上げてご紹介しています(2017年6月25日、同4月11日、同1月22日他合計12回、福井城で検索してください)ので、新たに書き加えることは殆どありませんが、整理する意味でまとめてみましょう。

慶長6年(1601)関ケ原の戦いで勝利した東軍の家康は、江戸に幕府を開き、越前には結城秀康を配置して、加賀の前田氏を牽制することとなります。福井城は家康が自ら縄張りを指揮したとも言われ、柴田勝家が築城した北ノ庄城跡を修復し、また範囲を拡大して三重の堀で囲うなど、壮大な城郭を天下普請として近隣の諸大名を動員して行われました。
本丸(現在県庁、県警が建っている)の北西隅に天守台を、南面に内枡形の大手門(瓦門)を配しています。搦め手には北側に不明門、西側には藩主の御座所に通じる御廊下橋がありました。

福井城跡石垣見学抜粋写真 (11)中央公園ガイダンス棟にある福井城ジオラマ
全体の縄張りは駿府城と同じように輪郭式の構造をもち、三重の堀で囲まれた二ノ丸、三ノ丸が本丸を取り巻いていました。本丸の四周には折れをもたせた高石垣が積まれています。
南東隅の百閒堀は旧荒川の一部を取り込み、足羽川と含めて外堀としています。近年、JR福井駅から西に地下駐車場が設置されましたが、その事前発掘調査によって百閒堀の一部に舟入が見つかり、足羽川や荒川から船が出入りしていたことが証明されました。

福井城の本丸北西隅に建てられていた天守は寛文9年(1669)の大火で焼失して以後、再建されることはありませんでした。四重五階の層々たる天守で、一階部分と二階部分の間に屋根を設けていないので見かけは四重に見えますが、五階建ての建物と言えます。御三家や将軍家の江戸城天守に遠慮してのものと考えられ、逆に福井城の規模が推し測られようというものです。

福井城跡本丸天守台石垣写真福井城本丸小天守の石垣
一押しのスポット
そうした福井城にあって、ひときわ目立つ存在で、他の城郭と比較して特に注目すべきは本丸の四周に積まれた高石垣だと思われます。
ほぼ同じ大きさに切りそろえた凝灰岩製(地元ではシャクダニ石と呼ぶ)を布積みの手法で見事に積み上げた石垣は内堀の広さと相俟って見事な調和を見せています。同一の材料の石を用いて、整然と積み上げた石垣はあまり他では見当らず、江戸城本丸、大阪城、駿府城、丸亀城などで同様の例が確認できます。

福井城は先にも書きましたように、寛文9年の大火で城郭の大半を焼失し、天守を除く大部分は復興されました。石垣も積み直しが一部で行われたと思われますが、概ね当初の様式は残されているものと考えます。その意味でも福井城の石垣は歴史的にも稀有な存在であり、貴重な文化財であると思われます。

駿府城復元東御門駿府城復元東御門(石垣がとてもよく似ています)
アクセス
福井城へはJR北陸線で福井駅下車、西へ徒歩5分で着くことができます。また自家用車でアクセスする場合は、駅前通りの地下駐車場を利用されると便利でしょう。
補足
※福井城の石垣については2016年11月7日付でブログアップしましたが、石垣の技法を切込み矧ぎとしましたが、切石による布積みが正確だということで訂正してお詫びいたします。
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