川口城(神宮寺城)―地域おこしと城山巡り(23)

川口城と神宮寺城の見学 (2)神宮寺城跡から指中、中村の高台を望む
川口城は、南北朝期に新田義貞と斯波高経が、後醍醐天皇側(南朝方)と幕府側(北朝方)に分かれて戦った時期に築かれた南朝方のお城です。
この時代の合戦の歴史をつづった『太平記』巻19「新田義貞越前の府の城を落とす事」には金ヶ崎城が落城した後、義貞らは杣山城に立て籠もって再起を図り、配下の武将畑時能は細呂木に城郭を築き、伊自良次郎左衛門は平泉寺衆徒と共に三峰城に立て籠もった。大聖寺周辺に拠点を持つ敷地、上木、山岸の各武将やあわら周辺に基盤をもつ深町氏らの武将は長崎、河合、川口の三ヶ所に城郭を構えたとあります。

川口城と神宮寺城の見学 (1)指中、中村背後の高台にある川口城
川口城とはこの時の城を指すものと思われますが、名称は河口荘の川口を意味するものと思われます。現在、地元区民によって顕彰されている遺跡地には「城の窪」、「城の台」、「城の西」など城に関連する古地名や字名があるものの、はっきりした遺構痕跡は見ることができません。
それに対して、JR細呂木駅から北北東に約1㎞の指中集落の東、春日神社横の神宮寺城が、最近になって、川口城ではないかという指摘がなされるようになりました。

川口城、神宮寺城については本ブログ2017.4.12、13「いわゆる太平記に登場する川口城とは?(1)(2)」でもご紹介していますので、参照してください。

川口城と神宮寺城の見学 (4)春日神社(南から、城跡はこの西側丘陵)
プロフィール
江戸時代の城郭悉皆調査の記録集である「越前国城跡考」に記載されている川口城をチェックしても位置がハッキリせず、十五、六間に二十五間の土塁が廻るとありますが、これも居館にしては小さ過ぎます。
対して神宮寺城は、これまで別個の山城として扱われていたのですが、同じ「越前国城跡考」に神宮寺城のことは触れられず、謎が残る記述となっています。この点については(※補足)の文献で項目を挙げて説明していますので、ご参照ください。

川口城と神宮寺城の見学 (5)春日神社から神宮寺城を望む
さて、神宮寺城のご紹介に移ります。

こちらは指中集落の東、春日神社境内西隣の山丘上に位置しています。標高は54.1mです。一番高いところに主郭と思われる曲輪があり、その下位に並列して階段状に2,3,4の曲輪が続きます。これらの曲輪に、又それぞれ腰曲輪、段曲輪が取り付いたりしていて、曲輪総数は大小合わせて20カ所以上になります。
範囲は東西約175m、南北約250mに及びます。南北朝期の山城にしてはつくりが複雑で、俄か仕立ての城とは言い難い構造と言えます。おそらく戦国時代になって修復、追加造成が行われたことは確実です。
神宮寺城遺構模式図2神宮寺城遺構模式図
一押しのスポット
この城跡は集落の中ほどにある指中神社の境内域まで延びており、その範囲はさらに広がるものと考えられます。
あわら市域にはこのほかにも樋山城や、千束山城、波松城などがありますがいずれも遺構内容やその配置など詳しいことは分かっていません。源平時代の木曽義仲に関するものだったり、時代知らずで、字名だけが残るというものだったりしていて正確さに欠けています。

そうしたことからも、川口城については指中南方の高台は畑地として削平、煙滅していることから追跡踏査の可能性はないにしても、神宮寺城については周辺の地形を含めて遺構が残されていますから、さらなる追跡踏査が期待されます。

アクセス
JR細呂木駅から北へ徒歩25分。春日神社の鳥居をめざして進みます。バスの便はありません。なお、自家用車でのアクセスは付近に駐車場がありませんので、駅前の細呂木公民館で、許可を得て駐車させてもらうようにしましょう。
補足
※南洋一郎2016『一乗谷城の基礎的研究』
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COMMENT 5

kaisan36  2017, 08. 08 [Tue] 01:29

偶然にも

私も先月、金津祭りの日に沢・指中の方の神宮寺城へ訪れました。

私もこの城は謎多き城だというのを直ぐに感じました。力の入れ具合がチグハグです。

調べて行くと、興福寺の僧と春日神社の社人が奈良から移り住み、長らく荘園の管理をしながら、神宮寺を城塞化していた様です。

私は主郭部分の堀の深さや土橋の明瞭さ、横堀の途中から更に竪堀に数条落ちる点から、越前の城らしくないと感じました。一向一揆により焼かれ、柴田氏が廃城となっていた物を陣城として改修したのではと考えています。
それとは別に神宮寺の跡や墓地跡も有り、ややこしさに拍車が掛かっている印象です。
春日神社の奥にも遺構があると考えています。

長文失礼しました。

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城歩きマン  2017, 08. 08 [Tue] 09:43

kaisan36さん、コメントありがとうございます。

神宮寺城はいろいろな意味で、分からないことが多くこれからも追跡していきたい山城のひとつです。
寺社の荘園を管理する武士が、築城し、城塞化していった、というご指摘は本当だろうと思います。

これからもいろいろと教えてください。

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kaisan36  2017, 08. 08 [Tue] 22:35

お疲れ様です

神宮寺城、訪れた人の数だけそれぞれの解釈が生まれそうで、興味の尽きない城です。平泉寺・豊原寺・一向一揆に次ぐ、余り知られていなかった興福寺勢力の城があったというだけで、とても貴重な遺構だと思います。

これは関係ないのですが、若越城の会に入会したいと考えているのですが、どうしたら良いでしょうか?

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城歩きマン  2017, 08. 09 [Wed] 08:38

Kaisan36さん、コメントありがとうございます。
お尋ねの若越城の会の入会の件ですが、下記の宛先に申し込みしていただければ嬉しいです。
電話でも、はがきでも結構です。城歩きマンのブログで知ったと伝えていただければいいと思います。

〒914-0065
敦賀市松栄町13-15 池田雄二方
若越城の会事務局 あて
☎0770-25-0246
以上です。
是非、ご入会お待ちしています。

PS.ちなみに今月26日(土)に本会の学習会があります。場所は敦賀市東洋町プラザ萬象、時間は午後1時30分からです。こちらもぜひご出席ください。

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kaisan36  2017, 08. 09 [Wed] 23:56

ありがとうございます。

御丁寧にありがとうございます。
早速申込みさせて頂きます。

26日の学習会も参加出来れば、参加したいと思います。

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