あわら市堀江館跡―地域おこしと城山巡り(24)

少し間隔が開いてしまいましたが、地域おこしと城山巡りを再開したいと思います。

あわら市堀江館(本荘城)本荘城(堀江館)遺構概念図(『福井県の中近世城館跡』より引用、一部改変)
今回は堀江氏の居館跡です。この居館跡については本ブログ2012年10月2日「越前の有力国人堀江氏について」でも触れています。ご参照ください。

堀江氏とは越前斉藤氏を祖とする豪族で、坂井平野一帯の荘園を支配した有力国人の一人に数えられています。南北朝期から室町時代前期にかけては越前守護である斯波氏の配下で権勢を振い、また朝倉氏が台頭してくると主従関係を結び、重臣の一人として重きをなした一族でした。
先に紹介した細呂木館の城主、細呂木治部丞や細呂木薩摩守はいずれも堀江氏の一族と目されています。

10本荘城跡の北を流れる竹田川(ブログ用)本荘城の北を流れる竹田川
プロフィール
堀江館は現在、あわら市番田の堀江館とこの下番にある堀江館、そして春江町井ノ向にある海神城の三ヶ所が知られていますが、最初、番田に居館が築かれ、後にこの本荘地区に移り、最後に堀江氏の末裔が春江の井ノ向に海神(かいじん)城を築いて居城したと伝えられています。
本荘にある堀江館は別名本荘城とも呼ばれていますが、文字通り、番田、上番、中番、下番などの堀江郷一帯の中心、本荘のことを指します。


堀江館は坂井郡一帯の春日神社の総社に位置付けされる神社の西隣に位置し、北は竹田川を外堀として取り込み、春日神社との境界を堀で仕切り、その内側に土塁、堀でさらにいくつかの曲輪を配置した複郭式の居館跡と考えられています。
同様の例は同じあわら市の桑原館や御簾尾館などでも確認することができます。いずれも現在は水田化されていたり、あるいは市街地化されていて往時の面影を偲ぶことは出来ません。明治初期まで古地形が認められたと言い、古い地籍図でもはっきりと堀、土塁などを追跡、確認することができます。

13堀江氏墓所の墓塔群(ブログ用)堀江氏墓所の墓塔群
本荘小学校の西端には石塔が数体保存されている場所があります。「堀江氏の墓」と言い伝えられていますが、石塔はいずれも無銘で組合せ式五輪塔、及び宝篋印塔の部位を残すものが4体分組み合されて並んでいます。

一押しのスポット
本荘城(堀江館)のある場所は竹田川の左岸に接していて、堀江十楽、公文などの集落の横を流れて、三国の東端に至り九頭竜川と合流しています。竹田川は兵庫川、五味川、田島川、磯部川などの支流があり、いずれも坂井平野を潤して九頭竜川に合流します。

本荘城の周囲には中世に成立したと言われる興福寺領の坪江・河口庄が坂井郡一帯に分布し、12世紀ごろに十郷用水が整備され、この地の水利・灌漑が確保されました。十郷とは、河口荘に含まれる本庄郷をはじめ、新庄、王見、兵庫、大口、新、関、溝江、荒居、細呂木の各荘郷の総称です。

アクセス
本荘城(堀江館)へは「えちぜん鉄道三国芦原線」に乗車し、「本荘」で下車、西へ600mの距離で徒歩約20分の道程です。
自家用車でアクセスする場合は、春日神社横、本荘公民館で許可を取って駐車させてもらい、徒歩で散策されることをお勧めします。特に春日神社は平成28年に修理工事が完成し、本殿の装いも新たになりました。併せて見学するのも一興です。

補足
※松原信之1971「坂井郡における中世館跡の研究」『丸岡高校研究紀要 第三』丸岡高校
スポンサーサイト

COMMENT 0