永平寺町波多野館跡―地域おこしと城山巡り(32)

編集_⑦波多野城跡休憩ポイントからの眺め③2016年10月2日登城道の休憩ポイントから九頭竜川、坂井平野を望む
この回からは場所を替えて、永平寺町から奥越地方へと足を延ばしていきたいと思います。そのトップバッターは永平寺町にある波多野城跡です。
この城跡については、本ブログ2016年9月28日、10月4日に「波多野城跡の見学会について」(1)、(2)でも紹介しています。ご参照ください。

波多野城跡遠望(北から)波多野城跡遠望(勝山街道側から望む)
プロフィール
この城跡は、中世の早い段階に荘園となった志比荘にある拠点的な山城です。
城主はこの荘園を治めた鎌倉時代の地頭、波多野出雲守義重と目されていますが、詳細は不明です。

波多野城跡は永平寺町谷口、花谷の集落の南方、城山(標高473.8m)の山頂部に展開しています。尾根線上には主郭とみられる曲輪をはじめ、大小合わせて20カ所以上の曲輪が確認できます。そして主要な尾根線には堀切、あるいは二重堀切を刻んで遮断し、南端部から南西側にかけての斜面には約30ヶ所にわたって畝状連続竪堀が刻み込まれています。また北東側斜面にも4~5ヶ所畝状竪堀があります。

波多野城跡遺構模式図永平寺町教委発行『波多野城跡』より引用、一部改変して掲載しました
このように波多野城跡には、一乗谷城でみられる畝状竪堀と同様の技法で、特に緩斜面に造られた腰曲輪や切岸の直下に刻み込んでいて、搦め手とみられる永平寺谷からの敵の侵入を意識した防禦態勢となっています。全体的に遺構の遺存度は大変良好で、県史跡にも指定されているところから見学道路が花谷口から整備されて、ウオーキングも兼ねた歩きやすい登城道となっています。

この波多野城跡の麓に「越前国城跡考」にも記載されている「波多野館跡」があります。城主は長井永平(永井長平の筆記間違いか?)で、志比郷花谷村ヨリ、二町計西方畑之中五十間ニ三十間計、とあります。別の書物には波多野氏の子孫、永井平左衛門某が谷口村に居住、とあります。
居館跡は地籍図などによりますと60m×55mの大きさで、ほぼ長方形区画の屋敷が今も遺存しています。土塁が東、南、西の三方に巡っていたことも確認できます。

編集_⑧波多野城跡直下の休憩テント2016年10月2日波多野城跡直下にある「こもれび散歩道広場」
一押しのスポット
波多野城の山頂からは北西方向に鳴鹿地区を蛇行しながら西下する九頭竜川の流れを見渡すことができ、晴れた日には遠く坂井平野と三里浜の砂丘までを見通すことができます。
この志比荘の一帯は、他に丘陵尾根線を利用した山城の構築は確認できず、本城跡が荘園の拠点的な山城であったと考える根拠にもなっています。

アクセス
JR福井駅に乗り入れている「えちぜん鉄道、勝山・永平寺線」に乗車、光明寺駅で下車します。また京福バスをご利用になる場合は、JR福井駅から勝山線に乗車、「光明寺」バス停で下車します。
そこから徒歩で花谷集落の奥にある「友遊広場」に向かい、広場入口にある案内板に沿って遊歩道をのぼります。1時間ほどで城跡直下に整備された「こもれび散歩道広場」に到着します。ここから城跡大手口は直登で5分ほどの道程です。

補足
※登城道のアチコチに「クマ注意」の看板が目につきます。実際にはイノシシ除けに使っているそうですが、やはり気持ちのいいものではありません。くれぐれもクマとの遭遇は避けたいものです。ご注意を!
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