国吉城の発掘成果に学ぶ

国吉城本丸下石垣列検出状況
国吉城跡本丸下石垣列の検出状況
平成24年12月23日(日)、予告通り美浜町国吉城跡の現地説明会に参加してきました。今年は最後の遺跡見学になることもあって、是非とも、の気持から多少遠い場所でしたが、苦になりませんでした。
説明会には約30人の地元の参加者があり、和気あいあいと言った雰囲気で始まりました。新聞報道のとおり、石垣は本丸の一段下の斜面、帯曲輪の下の斜面、といった風に2段に亘って築かれていました。またその積み方は城麓の居館跡で見つかった石垣の古いほうのものと共通していること、使用している石が小振りで、城山の露頭の石をそのまま使っているらしいこと、なかには石仏・石塔などが混じることもわかったとのことでした。
こうしたことから、山城の石垣の時期は天正10年賤ヶ岳の合戦を前後する時期が想定されるとのことでした。
思い返せば、福井県には石垣をもつ山城はない、と思っていましたが、よく見てみればこの国吉城以外にもいくつもあるようです。
小浜の後瀬山城、旧今庄町の燧ヶ城、福井市の東郷槇山城といった風に思い出せてくるのです!
後瀬山城は主郭がある山頂部には愛宕神社があり、一部はこの神社の石垣も含まれますが、おおむね丹羽長秀のときの天正10年頃と考えられています。燧ヶ城は柴田氏が越前に入部してくる時期、槇山城は秀吉の命によって越前に入ってきた長谷川秀一の時期でいずれも天正年中のことと言えます。
そして平山城の形態としては、あの丸岡城も天正4年に築かれたもので、天守を含む石垣作りの城郭であったことが推察され、越前における天正年間の城作りの一断面が、この国吉城の石垣によって垣間見させてくれた気がしました。
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