若狭熊川城について

熊川宿白石神社若狭町熊川・白石神社
2月14日(木)若狭歴史民俗資料館へ「発掘された若狭神宮寺」展を見に行きました。このところ、雨や雪が降ったり止んだりの思わしくない日が続いていましたが、今日は久方ぶりに天候が良かったので、運動不足を解消するためにも、ちょっと遠出になりますが思い切って外へ出かけることにしました。
神宮寺は和銅7年(714)の創建と伝えられる古刹で、本堂は天文22年(1553)に朝倉義景が建立したと伝えられています。平成15年から寺域の規模や遺構の遺存度を確認するため試掘調査が始まりました。その結果、塔跡の存在や平城京軒丸瓦と同じ形式の瓦の出土などによって、奈良時代初期の創建がほぼ確定されたといいます。
ま、このあたりのことは後日に回すことにして、折角の「若狭行」でしたので、若狭でその存在が注目されている畝状竪堀をもつ安賀里城と熊川城を見学することにしました。
今日はそのうちの熊川城をご紹介します。
熊川城主格部熊川城主郭部
熊川城は伝建群で有名な熊川宿の街道の中ほど、熊川郵便局の南隣、白石神社がある細い参道からのぼると標高約190mほどの尾根上に位置しています。全長240mの規模で階段状の曲輪が10数か所以上ならび、一番奥の最高所に主郭があります。城跡の南側斜面下には河内川が流れ、急崖となっています。
畝状竪堀は遺構の突端部、白石神社の拝殿のある斜面上に、3ないし4条いきなり刻まれています。そして、2か所目は主郭の背後の堀切から南側斜面にかけて刻まれていますが、ここは堀のくぼみが浅く、よほど注意しないと見過ごしてしまいます。また、南側の斜面は前述したように急崖になっていて、畝状竪堀は必要ないと思われるところではあります。主郭部背後の堀切は都合3条見られ、土橋を伴う、しっかりしたつくりとなっています。
更に主郭部から南側に小さな支尾根が延びており、数段の曲輪と先端には2条の堀切が切られています。熊川城は、この南側斜面下に流れる河内川の谷部に防御の構えを厚くしたつくりとなっているのが特徴かと思われます。
熊川城の城主は沼田氏とされていますが、詳しいことはよく分かりません。幕府の奉公衆を務めたともいわれ、永禄12年(1569)には沼田勘解由と松宮玄蕃助が争い、沼田氏が敗北して江州へ落ち延びています。しかし、沼田氏はその後にも若狭と関わりがあり、信長が元亀元年(1570)に越前を攻め、浅井氏の裏切りにより京都へ落ち延びる際には沼田氏が案内したとも言われています。
熊川城は小浜と近江今津とをむすぶ、国境の要衝であり、戦国末まで機能していたことは十分考えられます。
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