若狭安賀里城について

安賀里城遠望安賀里城遠望(南から)
2月14日(木)若狭歴史民俗資料館へ行くついでに、若狭町の山城2か所へ登城しました。一つは熊川宿にある熊川城で、今一つはこの安賀里城です。
国道27号線で美浜町から小浜に向かう中間点にあたります。嶺南牧場や「わかさカントリー倶楽部」がある安賀里集落の背後の丘陵です。ここは三方郡と遠敷郡の境界にもあたり、倉見峠を西に越えた地点に位置しています。
南側山裾には禅宗の諦応寺があり、今回はこのお寺さんの裏側からシカの防御柵を抜けて、谷部を直登する方法で登りました。
最近、若狭地方では、シカやイノシシが繁殖しすぎて食害が多く発生していると聞きます。安賀里城も麓一帯に防御柵が張り巡らされていて、簡単には山中に入れないようになっていました。
山城の主郭部は標高147mの丘陵尾根線上にあり、その遺存度は極めて良好でした。
安賀里城主郭部安賀里城主郭部
城跡は東西方向の尾根線に並行して配置されていて、西側虎口部には2本の西へ延びる支尾根をカットする長い堀切と3条の畝状竪堀があります。そこから2段の曲輪があって東端部が主郭となっています。主郭部には土塁が一部に巡っているのがはっきり確認されます。また平坦部に金毘羅宮の祠と燈篭が建てられています。
主郭部南側斜面に7~8条の畝状竪堀が刻まれ、搦手にあたる東側では土橋をもつ堀切によって明確に遮断されています。倉見峠側の北斜面は急傾斜となっていて、27号線(丹後街道)側からの寄せ手を拒絶するかのようです。
安賀里城の城主は若狭守護武田氏の重臣、粟屋式部丞光若といわれています。粟屋光若は天文年間に安賀庄代官に任ぜられていて、この頃に築城されたと大森さん(*)も考えたようです。
南側の麓の諦応寺さんは、中世以来の古い寺院らしく、永正年間に粟屋氏が発行した文書が残っているそうです。
前日に紹介した熊川城といい、この安賀里城といい、いずれもが小浜の武田氏本拠を守備する絶好の位置に配置された要害と言え、しかも遺存度も良好な山城で、若狭の中世山城を考える上では欠くことのできない城郭だろうと思います。
*大森宏『戦国の若狭――人と城』1996
スポンサーサイト

COMMENT 0