山城考――近年の畝状竪堀に関する考え方の変化

昨年8月に新潟県上越市で全国城郭研究者セミナーが開催され、各地の山城研究者の方々による研究発表と、「山城の実像を問う」と題したテーマの研究がいくつか発表されていました。
当日のセミナーには参加できなかったのですが、後日入手したレジュメを読ませていただき、昨今の山城研究の多様化と、一方で各分野の課題の深まりを実感することができました。思えば80年代中頃、中世城郭研究会によるセミナーが発足してからおおよそ30年ほどが経過しました。来年は記念の年・・・。
さて、レジュメには畝状竪堀に関する論文がトップの報告として記載されていました。近年悉皆調査が進んだ京都府の調査成果を受け、著しく類例が増えた丹後地域を例にとってその分布の特徴や、構築方法の類例化を模索していました。

そして、この論文の本題である「地域編年」に関する大まかな見通しが述べられていました。しかしながら、山城編年に関するテーマは大変に難しく、基本的な研究資料が縄張図であり、発掘で新たに発見される遺構をどうしても想定範囲外にし、そこから外れた次元で語ってしまうという議論上の”乖離の限界性”が付きまといます。
残念ながら、城歩きマンの理解不足もあって発表者の意図を十分汲み取ることはできませんでした。

そして、また一方では、これも昨年の2012年に刊行された論文集ですが、『西国城館論集Ⅱ』という書物にふれることができました。中国、四国地方の多くの研究者による中近世の城郭に関する報告が載せられていました。
そのなかに、島根県のある地方の山城の発掘調査の成果から畝状竪堀を評価する論文がありました。畝状竪堀に横堀が切られており、この遺構が同時期かそうでないか、という議論でした。個別の山城を例にとった議論ですので、これをもって各地の事例にどう反映できるか、難しいところです。
村岡山城の畝状連続竪堀福井県村岡山城の畝状竪堀
ただ、この論文の中で、報告者が近年の畝状竪堀に関する研究者の考え方、傾向として畝状竪堀は「強大な領域権力でない勢力で使用されている」ようだと注書きに付記しています。その対象地域は但馬国であり、北九州の豊前、豊後国の、まさに畝状竪堀が集中的に見つかっている地域のはなしです。この指摘はたいへん興味深いことであり、畝状竪堀に関する考え方や議論が、発掘事例や悉皆調査による測量図・縄張図の圧倒的な増加によって生み出されてきた結果だと思われます。

今まで、馬出や枡形虎口、あるいはこの畝状竪堀など特徴ある遺構の存在をもって、どこそこの大名権力による構築だ、「○○氏系城郭」だとまことしやかに議論されていた時期からみて、隔世の感を感じるのは城歩きマンだけでしょうか…?
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