中国・九州山城踏査その3

花尾城碑北九州市八幡西区・花尾城石碑
中国・九州への山城踏査旅行はいよいよ3日目に入りました。今日はその話をします。
3日目は山口県周南市から下関を越えて、関門海峡を渡り、九州入り。そして宮若市にある祇園岳城に登城し、午後には北九州市に戻り、花尾城を登城する予定でした。しかし、宮若市の祇園岳城はちゃんとした見学道路がなく、目印としていた須賀神社へは辿りついたものの、その先は竹やぶに覆われていて、道は全く分からずじまいで登城は諦めざるを得ませんでした。竹やぶの竹が伐採されていて、始末してないものですから倒した竹の腐り木で道がふさがれてしまい、おまけに足場もなく、まったく往生こいた、というところでしょうか・・・・。

時間も迫ってきましたので、次の予定地に向かわざるを得ません。祇園岳城は諦めることにしました。ヤンヌルかな。写真にある北九州市の花尾城に向かうことにしました。ここはどうにか予定した時間に到着しましたが、ここは市民の娯楽を兼ねた自然公園と一体となった場所となっているようで、公園のすぐ近くまで民家が建ち並んでいました。

そうしたこともあってか、周りには車を停める適当な駐車場がありません。花尾城の見学者は多くはバスでやってくるようです。うろうろしているうちに定休日の小料理屋の駐車場が空いていましたので、お願いして停めさせていただくことにしました。花尾城は鎌倉時代の宇都宮氏の築城とされていて、戦国時代には土着化した麻生氏が居城としていましたが、文明年間に大内氏と争い、また天正14年(1586)の秀吉の九州平定の折に降伏し、小早川氏の番城となりました。

標高348mの山頂に築かれ、尾根線に沿って10か所以上の曲輪が連続して並んでいます。遺構としては本丸の東側に大きな堀切が刻まれていて、その他各曲輪のまわりには少なくとも50条以上の畝状竪堀が取り巻いていて、一つの特徴をなしています。
この畝状竪堀がいつ施されたのか、気になるところです。
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