中国・九州山城踏査その6

竹田城配置図豊後竹田城遺構見取り図
中国・九州山城踏査旅行記は、書き始めて6日目に入りました。そろそろここらで、一旦締めくくりに入りたいと思います。書き足りない個所はあとで追加することとして、今回の旅行の意味付けをしてみたいのですが、一口で言って、欲求不満の解消、でしょうか!?

こんなことを書くと何かふざけているようで、不謹慎のそしりを受けかねません。しかし、長いこと、一度見てみたい、登ってみたい、この目で確かめてみたいという思いをもち続けてきた山城を、ついに踏破したことの達成感が今非常に強いのです。

何かの機会に、機会があれば登ってみよう、というのではいつになるか・・・・。そんな状況を打破するためにも、今回、時間と金力と危険度を顧みずに旅行に飛び出した、というのが偽らざる心境です。

そして、もう一つの旅行の目的は、わが一乗谷城の畝状竪堀と、遠く離れた北九州の長野城という山城の畝状竪堀の比較検討、また中国地方や九州地方の畝状竪堀をもつ山城の実態、今回の旅行で実見できた山城の数はほんの数例で微々たるものですが、そうした山城のいろいろを北陸の畝状竪堀をもつ山城とつぶさに比較しながら見て歩くことができたというのが、大きな収穫となりました。そして、そこからみえる戦国時代の山城築城の意味について、本当にずぶ浸かりで考えることができました。

最後にカットに掲げた図の説明ですが、ご存知の方も多いと思います。豊後竹田市の岡城を見学した折に入場料を払うともらえる城内の各曲輪の案内図(遺構見取り図)です。体裁は巻物風に作ってあり、くるくると広げながら図を見て城内を回る嗜好となっています。
但馬の竹田城は天空の城とまでいわれて、高く山塊の上に聳え立っている、という印象が強いのですが、どうしてどうして、この豊後竹田城も、険しい谷間の山嶺の上に聳え立った城郭で、お互いが意識しているのか、石垣や、曲輪の見せ方は全くよく似た印象でした。
そう言えば、島根の津和野城もこんなふうですね。

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